今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
私たちは“自由“を
なんとなく追い求める
自由とは何かを
あまり考えないまま
自由になりたい
自由になりたいと
誰かや何かを羨む
その漠然と追い求める自由とは
自分の“楽になりたいと“いう欲求
それは現状に不満を抱えている人だけが
積極的に抱える憤りに
乱暴に“自由になりたい“と名付けて
なんとなく自分の生命への怠慢を
綺麗事にしているだけかもしれません
自由になりたいという欲求は
怠け者の夢かもしれません
なぜなら、私たちは
日本という国に生まれた以上
常に本質的自由だからです
客観的にどんな状況かどうかというのは
自由であるかどうかに
本質的にはあまり関係がありません
自分をどこに置くことに
主体的に選べる人は
どんな状況であっても
自由だと言えると思います
ある意味では
仕事をする事も不自由なことです
子育てをする事も不自由な事です
専業主婦である事も不自由な事です
けれどもそのどれに
自分を置くか
置かれた中でどう生きるかを
選ぶことが
自由の本質であるのです
自分を縛る鎖を
自分で選ぶ自由に
自覚的であることは
とても大切な事です
例え
お金持ちの子供であったり
お金持ちの妻であったり
平凡に幸せな庶民だったり
才能豊かな芸能人だったりと
客観的にとても自由に見えたとしても
“自分がその場所を選んだ手応え“
に飢えるうちは
不自由です
あなたは
不自由ですか?
自由ですか?
自分自分の人生を選んできた
手応えがありますか?
今日何をするにしても
どこにいるとしても
どんな気持ちでいるにしても
自分が選んだ
自分が選んでいる
その自覚に目覚めた時から
私たちは永遠に自由なのです。
愛を込めて
響月ケシー
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