皆様ごきげんよう
ケシ―です
最先端を生きる皆様
今日もお読み下さり本当にありがとうございます
ケシーが
大変で苦しくて辛かった時等
色々ありましたが
本当の意味で救われた時というのは
誰かが、助けてくれた時では
無かったなぁ、と
ふと、思い出したのです
本当の意味で
もう、よいかなぁ
もう、この苦しみは
いらないかなぁと
自分の手で終了させることが
できた時というのは
それらを
”忘れる様な自分になれた”時
だったなぁと
思い出しました
そして、必ず
そんな時というのは
笑い飛ばしてくれて
そして
私は絶対に大丈夫だと
思わせてくれた誰かが
そばに居てくれたのです
私が抱えているすべての事
誰かが受け止めているすべての事
それらを大変な問題だと言って
心を向けてくれた人たちにも
感謝はしていますが
けどね
正直
それは問題だ
それは問題だ
と声を荒げてくれる事は
守ってもらえているという
安心と引き換えに
自分でそれを超えていく力というものは
静かに取り上げられているのだなぁと
思います
だから、実は
誰も助けない
誰も救わない
ただただ
その人は絶対に大丈夫だと
心から信じてあげる事が
一番大切な事だなぁと
思うのです
そしてその
無為の”信頼”が
その人の中にある
本当の何かが
自ら出てくる事を
手助けする
”安心”に
繋がるのだと
感じました
だから、大変そうなあの子
大変そうなあの人
大変だ、可哀想だ
社会が悪い
誰が悪いと
糾弾する前に
肝心のその子が
きっと幸せな人生を
自ら手に入れる力を
必ず持っていると
私たちが
全信頼を寄せて
応援してあげる事の方が
ずっと大事なんじゃないかなぁと
そう思ったのでした
愛を込めて
助けない、信頼を
あなたにも
あの子にも
響月ケシー
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