今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
今度、とある神社に行きます
そこは全国でも世にも珍しい
具体的な“夫婦神“の神事を執り行う神社で
ちょっと調べただけでももう
興味深いことだらけだったのですが
なんかの縁で2019年だったかな?
お伺いして、非常に強い縁を感じて
その“神事“に絶対行こうと思ってたのに
えまちゃんを妊娠して行けず
で、出産を経て2021年
これはいけるな、と思ったので
行く事にしました
この夫婦神の神事も
めちゃくちゃ興味深くて
陽と陰の共鳴する“音“から
神託を受け取るという
風水師からしても涎ものの神事です
けど、ちょっと小さな神社で
地元の由緒正しきところのようで
ブログで大対的に書いて
人が密集してもアレなので
お名前は伏せますが
とても楽しみにしています
その神事のスタイルに
とっても共鳴するからです
個人的にはこの世界の本質の仕組みとして
やっぱり生物の基本を
男と女にわざわざ分けた不思議が
私は一番気になるんですよね
もっと“効率“とか“合理性“を考えると
良いことがあった気もする
けど、敢えてこういう仕組みにした
敢えて最初から対立を作った
そこには深い深い“意味“が
私たちに文学的に理解できなくても
きっとある気がしていて
良しとする、悪しとする
を遥か超えた
我々がこうあるべきだった
理由がきっとそこにあったと思うのだ
生物学的な理由はきっといくらでも
あるんだろうけど
もっと意識的な
もっと魂を根拠とした
私たちが男と女に分かれて
やってみようと決めた
深い理由の深淵に触れたいのです
私は気がつけば
明確なパートナーというものを持たず
早5年弱ですが
これは予感的な話なのですが
私は前世というものがもしあるとすれば
圧倒的に“男だった前世“の方が
多い気がするのです
男の気持ちで女を体験している
という感覚がするのです
(性的対象はどう頑張っても男です。笑)
女性ってすごいよな
って本当に思うのですが
それって“私たちがすごい“って感覚じゃなくて
どこか外野から
すごいな〜
と眺めてる感じがするのです
どちらかというと
男の人の立場の方が共感することが多い。笑
で、女性として子を産み
恋愛もして、仕事もして
美容も楽しんだりしているのですが
どこか、なぜ私は女なんだろう、とか
なぜ男ではなかったのだろう、とか
思う自我も確かにあって
それを解明したい思いもあります
その1つとしてこの夫婦神事
とても楽しみにしています
またレポしますね
8月24日にはその話もできるかな?
けどまずは本を手に入れてね♡
24日の告知もするよ〜!
コメント