今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
ラウニオン到着二日目の朝
そっと抜け出して海まで歩いた
と言っても歩いて本当に1分、いや30秒
あまりの美しさに息を呑んだ
もちろん朝でも暑かったけど
マニラのそれとは全然違って
空気は段違いに澄んでいて
スッキリしていた
海は波も小さく人も少なく
心地よかった
水も凄まじく澄んでいた
ああ、母は楽園で育った少女だったんだ
フィリピンの人たちはとても明るくて
純粋で素直で愛情深くておせっかい
そんな環境で育った彼女は
日本に来てきっときっと
本当に本当に苦労したんだなって想像した
天国から来た彼女は
何かを強く求めると同時に
きっとその洗礼も
たくさん浴びたんだろうな
そして、実家を頼ることもなく
ひとりぼっち本当に本当に
戦ってきたんだな
海を見ながらそのことが
とてもよくわかって
母に対していろんな感謝や尊敬の気持ちが
湧き上がってきた
海散歩もそこそこに朝食を頂き
(いつも本当に食事の写真を撮り忘れる。笑)
子供達は少し体調が悪そうだったけど
(やっぱり気温や環境の大きな変化は負担だったようで)
プールで楽しそうだった
(子供らはプールの水に超アタる事になるのだが。笑)
そして、子供達を面倒見てもらって
私たちはお墓に行くことになった
フィリピンの墓地は
お墓とお墓の間がギッチギチに狭くて
ご遺体が埋まっている場所は
土足で踏んでも良いみたい
ハナさんの携帯で写真を撮ってもらおうと想ったら
なんと、ハナさんの携帯が急に使えなくなるという。。
そしてびっくりしたのが
母は来たことがないはずなのに
たーっくさん並ぶ墓石で
自分の父と兄弟の墓石を一瞬で
見つけ出した
(相変わらず凄まじい第六感を持つ母である)
で、手を合わせて
蝋燭を立てさせてもらった
心の中で何度も何度も呟いた
ありがとう、ありがとう
来させてくれてありがとう
手を合わさせてくれてありがとう
母と私を来させてくれてありがとう
会いたかった、ずっと会いたかった
母の存在にあなたの存在にあなたの妻の存在に
遠くの地日本からずっと焦がれていました
いつも守ってくれてありがとうございます
いつも導いてくれてありがとうございます
母は隣で
Nice to see you daddy.
と呟いていた
ああ、本当に来れたんだ
焦がれた自分の地
自分のルーツの根幹
もちろん山口県の父方のお墓に
28歳の時1人で出向いた時も
感動したけど
海を渡って遥か遠くの異国の地の
自分のカケラに
心から感動した
父も蝋燭を捧げてくれた
お父さんもやっと
義理のお父さんに会えたね
あなたの娘を私は愛していると
呟いたのだろうか
一生守り切ると伝えたのだろうか
父の心の内だけは想像できなかった
そして
もうお墓には来なくても
大丈夫だ、とも想った
もちろん、来たい時は来るのだけど
またきっと来るだろうけど
先祖の存在は心の中にあるのだと
本当に体感した
ただ、今回一番の学びになったのは
お墓参りの最大の意義は
“今在る人たちと共に祈る“
という事だと気がついた
それは面識があってもなくても
血縁があってもなくても関係ない
今、ここにある
自分の大切なひとと
共に祈ること
お墓だけではなく教会や神社や
あらゆるものに“場所“がある
一番の理由であるような気さえした
1人だっていい
1人だとしても
自分の今ここにある肉体と
共に祈る
もちろん部屋でふとした時や
部屋に飾る家族の写真に向けて
1人でじっと祈ってもいい
けど、“共に”をより深く味わえるのは
やはり、墓参りや法事の
大切な意義なのだと感じた
この旅の最大の使命を果たせたことを
心から感謝したい
で、このお墓参り以降
数々の奇跡が実際に起きてくるわけだけど・・
(辛いものも、嬉しいものもあります)
けど、このあと体調がどんどん
悪くなっていって
なんと実は今も若干引きずっています
けど、それも生まれ変わりの
通過儀礼のようなものかなと
ゆったり構えています
今日はここまで
続きはまた明日♡
明日はまたすごいことがあります。
響月ケシー
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