今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
お墓参りを果たした私は
どんどん体調が下降していき・・涙
ついにダウン
ホテルに戻ったら
エマちゃんたちはナイトプールを
とても楽しんでいた様子ですが
私は夕ご飯をパスしてダウン
しかし、朝起きたら
若干回復していて
天気もとても良かった
けど、喉がすごーく痛くて
どうしたものかとベッドで
モゾモゾしていたら
!海で泳いだらきっと治るぞ!
と直感して
水着に着替えて海にIN!
鼻も喉も塩が浸かるほど
思い切り泳いだり浮かんだりして
たったおそらく20分とかそこらだけど
本当に気持ちよかった
ぷかぷか浮いてると
癒されていくことを骨の髄から実感
で
マジで完治
おかげでフィリピン滞在期間は
元気に過ごせました
(帰ってきてからまたぶり返すんだけど)
確か、海水を点滴するだけで
何もかもの病気が治るって提唱して
実際にそれをやってのけた人がいた事を思い出して
これはガチだな、と実感
(参照:ルネ・カントン)
本当にスッキリした
そして、今日は
リユニオンパーティー
(親族親睦会)
なんと40人近くの
親戚一同が、私たちのもとに
集まってくれました
体調も戻ったことだし
お化粧してドレス着て
おめかし
そして遂に、パーティー会場へと
向かったのでした
そして、階段を上がると
本当に驚いたのですが
たっくさーーーーんの人が
YOKO!YOKO!(私の本名)と
今まで支援した学費のお礼や
フィリピンを訪れた事への喜び
また、母を連れてきてくれた事への
感謝の声を
本当に、初めて会うとは思えないほどの
たくさんのハグとキスと共に
浴びせてくれたのです
コツコツと私が
親戚との繋がりが欲しくて
自ら“繋がりたい“と思いを込めて
支援してきた見知らぬ人たち
姿も形も見えないから
もちろん一方的に支援し続けることに
時には不安になりながらも
その絆を信じてきた存在
肉体を持って
言葉を持って
溶け合った感動的な瞬間だった
寄付をする、支援をする、という事は
する側が偉い
素晴らしいという側面だけが
クローズアップされるけど
こんなにも素晴らしく
自分を誇りに思えることって
本当に他に無くて
この時本当につくづく
支えさせてくれてありがとう
助けさせてくれてありがとう
と思えた
そして、同時に自分にも
そうできる自分までに
自分を連れてくることが出来たことに
何か偉大な存在に感謝した
そして
そして
そして
初めて会った、おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃん
感動するだろうな、とは
予測していたけど
想像をはるか超えて
お墓を見た時よりもずっと
“生きているおばあちゃん“
は、私にとって
神様のようだった
疑いようもない
私の命の根源
母ほど近すぎず
ご先祖ほど遠すぎず
奇跡をそのまま人間にしたような
おばあちゃん
ずっと会いたかった
わたしのおばあちゃん
ああ、生きていてくれてありがとう
待っていてくれてありがとう
ちゃんとあなたの娘、連れて来れたよ
あなたのひ孫も一緒に来ているよ
あなたの娘を支えてきてくれた
私のパパもいるよ
頑張って仕事して自由になって
この旅を実現することができたよ
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃん
あなたが生きてくれたおかげで
私はたくさんのものを得ました
たくさんの体験を得ました
本当に本当にありがとう
本当にありがとう
私は、自分の父方の祖父母にも
会ったことがなかった
母方の祖父はすでに
亡くなってしまっていた
親戚との付き合いの一切もなく
私の家族は唯一の世界だった
その外に世界がある事なんて
私たち以外の人がいる事なんて
わからなかった
当たり前に両親の実家があって
おばあちゃんやおじいちゃんの家に
夏休みに遊びに行く同級生が
とても羨ましかった
お母さんの兄弟や
お父さんの兄弟や
お母さんお父さんの親がいるということが
私にはとても未知で
そしてそれはとても孤独だった
だから、フィリピンの一族には
片思いにも似たような
憧れがあった
おばあちゃんはすでに
92歳という高齢で
一時肺炎で入院したという話を聞いて
もう本当にこれが最後のチャンスかも知れない
そう覚悟を決めて
無理やりチケットを取った
おばあちゃんに会いたかった
私を抱きしめて
よく来たねと
言って欲しかった
ただただその思いで
私はフィリピンを目指した
何度も母にも行きたいと言ったし
自分でも行こうと努力していたけど
連絡の取り方もわからなかったし
私のことなんて知らないだろうと
諦めていた
変わり始めたのはスーザンが
我が家に来てくれたことと
SNSの存在だった
スーザンを通じて友達申請を
してくれたり
連絡のやり取りが少しずつ始まった
母と祖母の間にあるものにも
少しずつ気がついていった
母が抱えていたものも
なんとなくわかっていた
だから母を連れて行くのは
とても大変だった
母はきっと心の中に
何か色々な想像を抱えていて
勇気がなかったのかもしれない
けど、母の抵抗を目の当たりにしても
諦めずに
最初は1人だけでも行こうとして
勝手にチケットを取った
その後いろんないろんな
いろーーーんな抵抗にあって
私の旅路はキャンセルされそうに
何度もなって
(2020年には実際に一度キャンセルされて)
けど、最終的に
みんなでいく
ということが実現できた
そして、会えた
生きている
おばあちゃん
小さくて、ガリガリのおばあちゃん
ああ、この人がお母さんを産んだんだ
この人が母を育てたんだ
スーザンも育てたんだ
胸が本当にいっぱいで
涙を堪えるのに精一杯だった
(だから変な顔になってる。笑)
歯が一本も生えていない口で
小さく
本当に、よく来たねぇ
と握手してくれた
その時
大きな大きな
私の使命が
ちゃんと果たされた思いがして
肩の荷が降りた
そして、副産物として
私の母がとっても
幸せそうだった
見たことがない顔をしていた
少し会話に耳を傾けると
私のことがわかる?
わかるよ、マリビクだろ?
という会話が聞こえてきた
ああ、よかったねママ
ママのいろんな思いを
一緒に成仏してくれていたらいいな
と、思う
それは、私には
分かりきることは
できないけれども
今回この旅を率先して
コーディネートしてくれた
従兄弟のレイとそのフィアンセのチョロ
2人のおかげで
今回の旅は実現できたと言っても
おかしくないと思う
この2人のことも
また改めてちゃんと書きたいな
で、私が一番気に入ってる写真がこれ
おばあちゃんとその子供達で集合写真
お母さんは9人兄弟
2人すでに亡くなってしまった
叔父さんがいるから7人
母とその子供たちの図
リユニオン、それは
親族が再び集まって
愛を伝え合うという集い
そして、それは母の生誕の地
ラウニオン
それはスペイン語で
“集い・同盟“を意味する言葉
海を超えてこの“集い“を
実現できたことに
心から感謝したいと思う
私のルーツの旅は
最高の形でフィナーレを迎えた
そして、残すところ後2日
私は色々な感動を胸に
残りのフィリピン時間を
過ごすことになる
読んでくれて本当に本当にありがとう
響月ケシー
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