今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
怒り、と言う感情について
私は自分で否定する時代が
結構長かったように思います
怒ってはいけない
怒ってもそれを出してはいけない
怒りはみっともない
怒りは器が小さい
それで怒ることができなかった
私の感情は
ある日決定的な出来事を
引き起こします
それは、腰痛です
とんでもない腰痛が
私を襲い
本当に1ヶ月近く
まともに動けない状態が
続きました
本当におむつしようか
迷ったぐらい
で、原因が“怒り“にある
と言う本を読んだので
自分の当時腹が立っていたことを
書き上げて、列挙して
自分の怒りを見つめたんですね
すると、びっくりするぐらい
腰痛が軽くなり
ものの1週間で完全に
治ってしまったんです
で、それ以来
腹が立つことがあったら
なぜ怒るのか
そして、怒りの感情の
あらわなそのままを
まずは“自分で“受け止める
と言うことを意識して
行うようにしています
けど、人にぶつけることは
ほとんどありません
怒りというのは
“なぜ自分が怒っているのか“を
自覚するまで
燻り続けます
と言うことは
その怒りを上っ面で
爆発させたとしても
なぁなぁでなんとなく
和解した雰囲気で
誤魔化せたとしても
なぜ、自分が怒りを感じるか?の
理由の方にちゃんとフォーカスしないと
その怒りは未消化のまま
未消化の怒りは
“怒りたい“と言うおりになって
心の底に溜まっていきますので
“怒りたい“人になります
そうなると
街中で威張り散らかす人だったり
自分の間違っていたとしても
お店の人や政治家や公務員などの
反撃できない人に
鬱憤を晴らす痛い人に
なってしまいます
ということは
怒りを感じたらまず
なぜ、私怒ったの?
と言うところの本当の本当まで
掘り下げて見つめる必要が
あるように思います
で、おおむね
怒りの原因というのは
寂しさじゃないか、と
仮説を私は持っています
もちろん正当な怒り
それは誰か大切な人を
傷つけられたり
本当に純然たる怒りの時も
あるかもしれませんが
大抵は
自分を大切に扱われなかった寂しさ
自分は重要じゃない、ということに
直面した寂しさ
誰も自分を仲間に入れてくれなかった寂しさ
孤立してしまった様に感じる寂しさ
その寂しさって言う感情は
怒りよりももっと
認め難い感情で
惨めなものなのです
だから、怒りでカモフラージュして
しかもその責任の所在を
社会や誰かに転嫁して
逃げてしまう
だから、怒ってしまいそうな時ほど
何が寂しいんだろう
何が自分の生きていていいと言う
安心感をゆるがしてるんだろう
と見つめてみる
すると、未消化な怒りとなって
体内を徘徊することもなく
綺麗にすとんと
怒りが収まる
そして、さらに言うと
同じようなことが
あまり起きなくなりますね。
もちろん、わたしも
反射的に怒っちゃうこともあるけど。笑
心がけてはいます
皆さんもぜひ♡
いつもいつもありがとう
響月ケシー