今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
私は、一生恋愛なんてできない、って
思っていました
怖い
と言う気持ちだったと思います
もう嫌だ、と言う
うんざりした気持ちもありました
やはり
結婚して不仲になって
泥沼離婚して
と言うプロセスは
私の乙女心を
相当痛めつけていたようなんですね
“ようなんですね“と言うのが
どう言う意味かというと
最近になってついにその
傷ついた心が
もしかしたら癒えて来たのかも?
と言う気付きがあったからです
やはり、大いに私も
傷付きましたから
防衛本能じゃないですけど
男性に対して何処か
「お前はちゃんとした人間なんだろうなぁ!!」
と言うジャッジした目線というか
(こうやって書くと怖いw)
評価するような見方が
あったと思うのですが
最近ふと気がついたのが
そういう“とある厳しい恐れの目“が
あんまり無いことに
気がついたんですよ
なんとなく普通に
男性をフラットに
見られるようになっている
なので、思い返してみると
5年かかりましたね。
もちろん、傷ついたままで
そのままちゃんと
次の恋に目を向けられる人も
いると思いますが
私みたいに
傷が癒えるまでは
男性とちゃんと向き合えない人も
いるだろうと思います
けど、根本を掘り下げてみると
“私はまたきっと傷つくに違いない“
“もう、あんな傷つくおもいは懲り懲りだ“
という前提から
むきあってるんですね
けど、物理的に現実的に
考えてみるとですよ
全く違う時間に
全く違う自分で
全く違う人と恋をするんだから
また、傷つくかどうかなんて
“決められるわけがない“
じゃないですか
けど、恐怖が覆い隠してしまう
そういうことあると思うんですよね
で、5年を経って
私はちょっと
前向きになってきたなっ
て思ったんですね
まぁだからなんだ
という話なのですが
今、恋も何もしてないよ
という人
もう私はそういうのはいいわ
という人
自分は絶対にまた傷つくと
決めつけていませんか?
けど、それは
わからないことなのです
だから、もし胸が
何かのときめきを覚えたなら
それに体を委ねるのも
実ったとしても
実らなかったとしても
楽しいんじゃないかな、と思います
そんな気楽な気持ちを
自覚したので
改めて文章にしてみました
いつもありがとう
愛を込めて
響月ケシー
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