皆さまごきげんよう
ケシ―です
先日、実はまた久しぶりに
親と喧嘩しました。
私は超死ぬほどハイパーミラクル
反省しました。
本当に些細な事がきっかけで
喧嘩になりました。
(本当に今思えば死ぬほど些細な事)
それで
言い合いになっている時に
湧き上がってきた
私”が”やっている
私”が”稼いでいる
私”が”回している
という
凄まじい分離のエネルギー
そういう想いが
自分の中にも
まだあった事に驚きました
全て”一体”だから
もう、私の手柄でもお金でもないし
所詮全て一次預かりだから
誰がどうしても、良いんだ
って、思って
生活していたのに
思っていたはずなのに
私の中にまだ残っていた
”私のおかげでしょ?
認めてよ、褒めてよ”
という、小さい頃の想い
私は、自分の中にあるという事を封じ込め
親に承認を求めた
そのズレの始まりを
まだ、握りしめていた。
止められない分離のエネルギーに振り回され
めちゃくちゃに荒ぶる私を見た父の
突然の涙
(いや、手あげたり投げたりしてないですよ。笑)
それに計り知れない衝撃を受けた私は
心の奥底から
両親に謝り
自分の立居振舞を後悔しました
その時に私に
投げかけられた言葉が
「わたしなんて居ないんだよ」
という、誰かの
とてもとても優しい言葉
私1人がやってるんじゃなくて
両親に支えられている私が
やれている
私のお蔭でもなく
私のためでもなく
ただただ、そこにある事に
その全てが有り難いという事
こんな当たり前の事
言葉で書くと簡単な事
あなたなんて居ない
あなたの手柄なんてない
あなたのせいなんてない
あなたの責任なんてない
人は大体いつも
ただただありがとうって言ってほしいだけ
この状況は
ありがたいねぇ、って
言い合いたいだけなんだよね。
その
私なんて居ないよ
意味なんてないよ
という事の裏にある
とてつもない寂しさは
私がまだ私の中にある何かを
完全に信頼していない証拠でした
みんなもきっとそう
誰かと喧嘩するとき
何かで揉めるとき
問題は
あなたがあなたの中の何かを
信頼できていない時
だから、何が起きた後からでも大丈夫
大丈夫だよ~って
ただただ感じてみてね☆彡
いつもありがとう
愛を込めて
響月ケシー