皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる愛ある皆さま
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ふと、気が付いた方も
居るかなって思うんですけど
【元気が出るメモ】
とか、やめました
もっと、自由に
書きたくなって
なんとなく辞めました
そして、過去記事も全て
そのうち【○○】が
消えると思います
ただの言葉の中に
どれだけこめられるかが
知りたくて
提供するノウハウとか
そういうのではなくて
あふれ出る言葉の中にある何かが
誰かに当たる様に
そういう感覚になって来たので
取り敢えず辞めました
私たちは生きていて
色々な経験をする
思うところがたくさんあるし
傷ついたり
嫌な気分を味わったりする
えーせーが今日
いやいやが始まって
神戸のプラネタリウムから
車のところに戻った時に
車は嫌だ!と
乗りたくないと
泣いて叫んで
非常に困りました
けど、とりあえず抱いて
後部座席でなだめている間に
疲れてしまったようで
寝息を立てました
そっと、椅子に寝かせて
連れて帰りました
その、えーせーの寝顔を
眺めながら
帰路を行ったのですが
ふと、よぎった事が
彼は起きた時また
ああ
帰って来させられてしまったと
感じるのだろうかと
(いえ、きっとそれはない
だって彼は子供だから、神だから)
そう思うと
人生は思い通りに行かない事
だらけなはずです
そんな時
どうせ、伝わらない
どうせ、こうならない
どうせ、私の思う様には運ばないと
冷たく冷え切った心で
生きるのも自由
けど、だからこそ
想いが通ったこの瞬間を
楽しくてたまらないその瞬間を
心が躍る刹那を見つけた時
それをさぁいざ
感じようと
ああ、幸せだ
ああ、なんて素晴らしいんだと
確かに沸き起こるなにかに
耳を澄ませて
1粒も逃さないように
丁寧に、感性豊かに生きる事も
それもまた自由
上手く行かない人生であることは
どちらも同じことであるのです
そして
世界がどちらの姿勢を愛するかは
明白だと
私は思います
あなたの神の一部である
身の回りの人という神が
どちらを愛するかは
書かずとも解ると思います
ここに理屈はきっと無いのです
明け渡した心の方が
丁寧に扱われるものです
無防備の敵の方が
殺せないものです
嘗ての昭和天皇の様に
どうせ、どうせ、どうせ
所詮、所詮、所詮
結局、結局、結局
そういう言葉を聞くと
怒りが湧きます
それでは、お前は
死んでしまえばいいのに
諦めるのなら
ちゃんと諦めて
そんな言葉も二度と吐く事なく
黙って静かに死ねばいい
けど、そんな
つめたく投げやりな言葉を
敢えて口に出すという事は
どうか、見つけてください
孤独な私はここに居ますと
叫んでいるのと同じことじゃないか
私は知っている
なぜなら私も何度も
それを呟いてきたから
それは背中を見せる行為だった
しかも見せながら
鍵は固く締めて
誰かがこじ開けるのを待って
そして、誰も開けない事を恨んでいた
気が付けば1人
また1人といなくなって
触らぬ神には
祟りなしです
嫌気がさしたのです
嫌だったから
私はこころを差し出したい
優しくて弱い自分を
そのまま差し出した
すると、嫌な事にもあった
けど、良い事にもたくさんあった
人生に彩りが産まれました
そんな孤独は
嫌だから
あなたは生きてみて
いるんでしょう
欲しいなら
ちゃんと欲しがろう
なぜなら
母の乳房も
帰りたくない遊び場も
あなたは嘗ては
泣いて望んでいたでしょう
大人になるという事は
望まなくなることでは
ないのです
望み方を変えるだけ
脳も十分に発達しているし
世の中の事も
いくらか解るんだから
脳の使い方を間違えないで
もし、本当にいらないのなら
決して誰にも
本当は欲しい事を
悟られずに
人に合わせ続けて
死んだまま
残りの人生を生きればいいとおもう
きっと、誰も居なくなるから
けど、本当はそれは
嫌でしょう
生きているのだから。
だから、見せて
喉から手を突っ込んで
そのまま取り出したような
鮮やかに血に濡れた
叩けばすぐに壊れそうな
そのこころを
大切な、大切な
日の目を観なかった
その心
その時、愛は一手に
舞い降りるのです
つまり、生きるという事は
こういう事である
愛をこめて
響月ケシー
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