今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
みなさん、私にとって
“虐待“の問題って
とても重大なことは
なんとなく伝わってるかなと思うのですが
(参考記事)
みなさん、年間
何人ぐらいの子供が
虐待で亡くなってると思いますか?
想像でいいので
心の中で何人ぐらいかな?って
考えてみてくださいね
答えですが
50人〜100人
です
多くの人が
すごく少ない、と
思ったのではないかと思います
で、しかもそのうちの
半分以上が
0歳0ヶ月0日の母親による
犯行だそうです
つまり、身ごもってしまって
誰にも相談できずに出産してしまい
遺棄してしまう
これはつまり行政の問題ですよね?
ってかそもそも虐待ですかね?
必要なヘルプを母親のもとに
届ける事ができなかった
行政の問題なのですが
なぜか母親が捕まってしまう
で、皆さんが
“虐待“と聞いてイメージされるような
継父などに虐待されて
亡くなってしまう子供は
本当に少ないわけです
実際に虐待してしまうのも
実母がほとんどな訳で
これも“母親の救済“が必要なケースは
相当に多いだろうと思います。
で、こんな希少な事例を
取り上げて
日々報道され続ける虐待報道
児童相談所の相談件数はなんと
何百倍になってきているそうですが
虐待死は微妙に増えているようです
(とはいえ、100件を超えるような件数ではなく
非常に稀な事件であるということは今もそうです)
社会が“虐待だ虐待だ“と
取り上げ、危機感を煽り
何百倍の通報が入っても
肝心の死んでしまう子供は
増えていっている
いわゆる今国内で行なっている
“虐待をするような親を社会で監視しよう“
という取り組みは失敗しているわけです
ここで、良い参考例の話を
したいと思います
それは海外の話なのですが
ドイツでは“虐待“という言葉が
撤廃されたそうです
例えば親に暴力を受けている子供がいる
それは行政にとっては
“子供の危機“として対処すべきだが
親による加害は刑事罰として
別に考えるという事なのだそうです
で、私はなんでそんな
わざわざ“虐待“という言葉を
消す事になったのだろうか
と思っていたのですが
これは
“子供への配慮“
なんですね
つまり“被虐待児“を
作らないがために
虐待という言葉を
消したのだそうです
虐待だ虐待だ糾弾するメディア
それを見て何て親だ!と憤る大人たち
虐待を減らそう!と
正義ポルノでさらに煽る行政
けど、その全てが
その被害を受けた子供達の心を
とても傷つけていることに
全くの無自覚なんですよね
自分自身に置き換えてみると
私が、過去に壮絶な体験をして
離婚問題に向き合っている時
多くの人がきっと愛を込めて
「あんな奴別れてよかった」
「もうすでに女でもおるんやで」
「最低やな!父親として酷すぎる!」
と優しさの思いを込めて
私の側に立って
彼を共に責めてくれたのですが
その言葉は私を(時には我が子も)
どんどん“可哀想に惨めに“
していったんですね
私ももちろん最低だと思う
たくさん傷つけられたと思う
けど、そんな中
彼のことを一言も責めずに
“お互い大変だったんだね。
気持ちが落ち着いたら
また前向きに進んでいけるよ!“
とだけ声をかけてくれた方の事が
とても印象に残っています
彼女はきっと深いところで
一緒になって彼を責める言葉が
私自身を惨めにすることを
知っていたんだと思います
そう
虐待された子供の親を
責めていいのは
その虐待の被害を受けた
子供だけなんです
親を糾弾すればするほど
“そんな親に育てられたぼく“
“そんな親に育てられたわたし“を
作り上げてしまうんですね
だから、“子供の危機“であって
親が行った加害は刑事罰として
別に裁くというドイツの姿勢に
なんとも深い配慮を感じたのです
で、これは大きな行政の話ですが
皆さん一人一人の世界でも
“言葉は全て”です
何かを正当化しようと思うと
どうしてもそうではないものに
言葉を当てがって
否定したくなる
ふわスピ
子宮系
毒親
拗らせ女子
港区女子
フェミニスト
拗らせ女
子供部屋おじさん
陰謀論者
引きこもり
メンヘラ女
私たちは無限に
そういう言葉を生成して
正当化の罠の中で踊り続ける
自分は正しいということは
とても気持ちが良いから
誰もが飛びつく甘美な言葉
それがたくさんの人を
傷つけていても
構わない
ただただ
煽って煽って飛びつかせて
自らを否定させて
出口を見失わせていく
言葉は魂です
本当に気をつけて
使わなくてはいけない。
そう
虐待をしてしまう親は悪い
けど、その親を呪う社会の風潮は
その肝心の子供さえも
さらに追い詰めてしまうから
“虐待“という言葉が
日本から無くなりますように。
誰かを傷つける言葉が
もっともっと減りますように
不運にもそういう被害に遭った子供達が
自らを呪うことが
もっともっと少なくなりますように
祈って私はまた今日も
児童養護施設にお金を送ります
響月ケシー
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