今日も生きている皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
けしーです
その時その時の時代を
生き抜いていくために
その時その時なりの
必要なスキルというものが
あったと思います
で、私が思う
これからの私たちに
必要な能力は
“重要性の引き下げ“
というスキルです
簡単にいうと
“これがなければ生きていけない“
“こうでなくてはいけない“
という思いが湧いてきた時に
いや、そんな事ないだろう。
と、想いに抑制をかける事が
できる能力です
個人的には
仏教がついに
時代のど真ん中に降り立ったと
思っています
仏教の伝えたいことの1つは
欲のコントロールです
重要性の引下げとはまさに
欲の制御と直結しています
そもそもなぜ
バランスを欠いた“重要性“が
現れてくるかというと
“自分は不幸だと錯覚するから”
なんですね
それはもう錯覚なんです
不幸には実態はなく
それは想いなんですね
仏教では全ての苦しみは
“想い“それはつまり“執着“から
生まれると説いています
そしてその執着は全て
“自分は足りていない“という
思い込みから
湧いてくるものです
例えば
・自分は重要な人物である
・自分は成功した人物である
・お金がなくては不幸だ
・自分はうまくいっている
・この人がいないと無理
・美しくなくては価値がない
・子供がこうならなくては
・自分のやっていることは意義がある
これらも全て
“自分が不幸だから“
思うことです
不幸だから
これを必要だと真実だと
思い込むのです
そして、心のエネルギーバランスが
崩れていく
どんどん
・自分は重要な人物である
・自分は成功した人物である
・お金がなくては不幸だ
・自分はうまくいっている
・この人がいないと無理
・美しくなくては価値がない
・子供がこうならなくては
・自分のやっていることは意義がある
これを証明するために
心血を注ぐようになると
それは“重要性が過剰な状態“となり
原理原則に従って“均衡を保とうとする“
つまり逆側に崩壊するわけです
・自分は重要な人物である
→重要ではなくなる出来事が起きる
・自分は成功した人物である
→成功してるとは言えない出来事が起きる
・お金がなくては不幸だ
→お金を失う事が起きる
・自分はうまくいっている
→うまくいってない現実が起きる
・この人がいないと無理
→その人を失う
・美しくなくては価値がない
→美しくなくなる
・子供がこうならなくてはかわいそう
→子供がそうでなくなる
・自分のやっていることは意義がある
→意義がなくなっていく
情報化社会SNSの発展による
国民全大競争時代において
この“重要性の異様な引き上がり“は
これからの現代社会の中での
最も大きな問題の1つで
そんな中この
“重要性の引下げ“
ができるということは
そもそもそんなものは
あってもなくても
さして差し支えないものだと
思えるかどうかが
“重要性の引下げ“です
そのためにはどうしたらいいのか
について改めて動画で
話していますので
動画も併せてご覧ください。
響月ケシー
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