今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
とある漫画家さんのお嬢さんが
自分の人生を
漫画のネタにされた事と
日々の虐待を受けたことを
打ち明けて
大変話題になっておりますが
これは今後本当に
気をつけなきゃ
いけないことだな、と思って
整理も兼ねて
書いてみたいと思います
例えば、子供のことをネタに
漫画を書く、YouTubeを立ち上げる
TIKITOKをあげる
こういう事が
比較的普通に行われていますよね
(私もしたことありますので
自戒も込めての記事です)
もちろん日常的なほっこりした
幸せをシェアするという程度の
子供の近況のシェアは
そんなに問題になることは
ないと思います
(防犯などの問題は
ここでは議論しませんが)
ただ、例えば
非行少女の娘にどう接したか?とか
あらゆる子育てコンテンツや
ただただ遊ぶ子供をネタにした
動画などなど
それ自体で視聴を稼ぐことを
主たる目的として
コンテンツを作成する場合
果たしてそこに
“合意“は本当にあったのか?
ということを考えてみると
少し闇が落ちる
子はほぼ自動的に
親に気に入られたいという
衝動がありますので
言われるがままにいうことを
聞いていたとしても
思春期になった時や
自分としての独自のアイデンティティーが
芽生えたときに
摩擦は生じないのだろうか
あるいは無意識のうちに
子供に強要してはいないだろうか
子供のプライバシーは
大丈夫なんだろうか
もちろんもう既に
フラットな意思確認ができて
本人が望む場合は
何ら問題はないだろうけど
小さい子供の場合は
どうだろう
日本ではどうしても
子供は親の
“所有物“という感覚が
まだまだ強いと思います
子供は“国の財産である“という
認識が強い国では
少しでも真っ当な子育てを
放棄した場合には
即逮捕されることもあるようです
日本では子供を
“それなりの人間“に仕立て上げるための
義務教育としての
評価、序列、ヒエラルキーを
植え付けることはしたとしても
それも学習という
標準的な計算能力と処理のう
子供独自としての感情や意思
尊厳に関しては
親に全て一任してしまっている
側面が相当に強いと感じられるのです
だからこそ
親一人ひとりが
子供から少し
離れたもう1つの目線を
持つことが大切だな、と
思います
他の大人にしない態度や
言葉がけは
子供にも本来してはいけないかも
しれませんよね
他の大人にちゃんと
説明することなのであれば
子供にもしなくてはいけないかも
しれませんね
私は
子供は、この地球にやってくる
聖なる使者だと
結構マジで思っています。
たまたま私の手元に
やってきてくれた
えーせーとえまには
本当に日々
感謝しています
もちろん喧嘩もしますし
謝らなきゃいけない態度を
取っちゃうこともありますが
子供は私のものじゃない
って、どこかでいつも
言い聞かせながら
丁寧に生きたいと
思っています
愛を込めて
そして、あなたも
子供だったのです。
ね♡
響月ケシー