今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
私たちはみんな1つだ、とか
ソースだ、とか
宇宙なのだ、とか
色々ありますね。
私の宇宙観について
お話ししたいと思います。
私の中で一番イメージしやすいのは
私たちは個別の魂や性格というものも
当然持っているのですが
同時に私たち一人ひとりは
1人の完全な人間の一部
というイメージなんですね
そして、愛に近い部分ほど
非常にコアに近い心(ハート)
だから、血液を通じて
分かり合えるし
通じ合えるし
涙が出たり感動するし
多くの人がすごいパワーを
一斉に出せたりする
けど、愛から離れていくほど
爪に神経が通って居ないように
髪の毛に神経が通っていないように
感覚が消えて離れていく
別々の存在だと感じられてしまう
けど、爪も髪の毛も
別に悪いわけじゃないけど
末端の部分だから
別々で分かり合えなかったりするし
切り離されてゴミになったりする
このより愛に近い考えが
所謂ソースとかハイヤーセルフとか
ヴォルテックス(だっけ?)とか
いい気分とか
いろんな言われ方をされていますが
所謂リラックスして
恐怖や不安に囚われていない
状態で
そこから離れていけばいくほど
私たちが共有している
1人の大きなアイデンティティーの
体の外側に近づいていく様な
その私たちが共有している
“とある1人の人格“が
いわゆる神であって宇宙なんだと
思っているんですね
その1人の中には
この世の全てがあって
全ての感情があって
全ての出来事があって
全てを体験している人なのですが
それでも、まだ
私たちが体験したいと望むように
赤子が立ち上がりたいと
頑張るように
未だ見ぬ自分自身を知りたいがために
生き続けている、という
そういう感じなんですね
それ以上の世界線については
私にはわかりませんが
ここまでは体感を伴って
わかるのです
で、爪の人とか
髪の毛の人とか
そういうことでは全然なくて
私たち一人ひとりが
無数の細胞の1つとして
ホログラムの1粒の光のように
全体像を映し出している

そして、光の粒である自我
(左側の青い光の1つの自我)と
その全体像を眺める目線
(このロバートダウニーJr.の目線)
も持っている
この視線って移動するんですよ
けど、このロバート・ダウニー・Jr.の
目線や視点に立ち戻る瞬間って
自分で作れると思っていて
でね、この共有感を
最も感じられる映画が
あるんですけどね
教えて欲しいですか?
教えますよ。笑
私にとっては
“ジブリ“なんですよ
この前も金曜ロードショーで
ジブリ連続やってましたけどね
トトロの舞台である
ああいう田舎
私はああいうとこで
暮らしたことも無いし
あんな山の中を遊び回った
記憶もないんだけど
小さな森のトンネルの先の
不思議な安心感がある
トトロの寝床
何故だかとってもとっても
懐かしい気持ちがしませんか?
行ってみたいな、って
いうより
帰りたいな、って
感じませんか?
もものけ姫で表現されている
深い森の景色や湖
飯場でご飯を食べるお母ちゃんたち
私たちはどこかで
“知ってる“んですよ
行ったことがなくても
現実に体感したことがなくても
もし、この地球自体も
その大きな人格の一部だとしたら
自然の中には
たくさんの私たちの
愛に近い大切な想いが
隠されている
思い返せば
私の人生を変えてくれたものは
すべて自然からの学びでした
私の生活は花を
育て始めたところから
変わって行きました
花が自然に花開いていく姿から
リラックスを学びました
静かな湖からは
心の安定を
激しい海からは
怒りの大切さを
雪からは
切なさの素敵さを
夜からは
孤独の味わいを
太陽からは
元気の重要さを
出産からは
自分の存在の奇跡を
学びました
数えきれないことを
自然から学び
そして私が今
生業としている
卍易はその自然を
知らしめるための術で
インド占星術は
魂の自然を知る術です
自然は全てを持っています
自然の中には
私たちが共有している
すべてが詰まっています
あなたの本当の姿を
知りたいのなら
“自然“であること
もちろん、私たちには
お金や情欲や権威や名声に
揺れる心がある
それも、自然の一部
あなたの自然は
常にいつだってそこに
存在している
目を凝らせば
心に耳を傾ければ
いつだって。
そしてそれがあなたに
いつだって無限の豊かさを
もたらしてくれる
人生を開く鍵は
常にあなたが持っている。
響月ケシー