ケシーです
今朝、えーせーが
テレビで流れるドラえもんに
釘付けでなかなか着替えず
ソフトのコンタクトレンズ程度の
器しか持ち合わせていない私は
少し強めに
早く着替えなさい!
と、シャウト
そしたら
ヘソを曲げてしまって
幼稚園のバス停で
バスに乗らないって駄々こねて
足が痛いからおうちに帰る
って言いました
無理矢理乗せてもよかったんだけど
帰りたいというから帰らせて
仕事が迫っていたので
帰宅後すぐに父に任せて
午前中の仕事に取り掛かった
仕事がひと段落ついて
整形外科に行かせた父に電話
本当の答えはそこには無いことも
わかっていたんだけど。
1時間ほどして父に電話すると
待ち時間中にお散歩したら
足が治ったって言ったので
幼稚園に送り届けたよ、って
私は
ちゃんと彼の心に
目を向けて、気を取り直させる
一手間をかけなかった事に
大いに後悔して
まずは父に心から
「お父さんありがとう」
と、伝えた
我が子を満たしてくれて
ありがとう
どんなふうに生きたって
頑張ったって
怠けたって
こうしてやればよかった
っていうのは出てくる
そんなのを全部事前回収して
“後悔のない人生を“
なんて、そんなの嘘だ妄想だ
そんなの無い
後悔はする
だからって
後悔しないように
生きようとしたら
罪悪感と、緊張で
人生がいっぱいになってしまう
だから、私もいつも
誰かに迷惑をかけている
多分自分がかけられてるって思う
数倍はかけてる
そのことを思い知って
ありがとう、って思うことが
まず大事
私をここにいさせてくれて
ありがとう
働かせてくれて
ありがとう
母親させてくれて
ありがとう
そんな事を考えていたら
友人から電話
認知症で苦しむ父を看取った後
父のベッドの下から
1冊のノートが出てきて
メイワクをかけてはいけない
勝手に動いてはいけない
散歩に行ってはいけない
すまなかった
とたくさん書いてあったらしくて
めちゃくちゃ泣いていた
なぜか私も泣けてきた
日々が大変すぎて
その時は
動かないで、と命令したり
忘れてしまっていることや
認知症であることを
責めたかもしれない
だけどさ、本当はさ
迷惑もかけて良かったんだよな
時には家族だから
傷つけあうよな
死んでからそんな事思って
遅いかもしれないけど
ごめんもいるかもしれん
後悔したら、後悔してるって
言わなきゃいけないかもしれん
けど、後悔よりも
やっぱりここは
ありがとうだな、って話して
薄れゆく記憶の中
自分の面倒を見てくれている人に
すまなかった、より
やっぱり
ありがとな、って
言えたらいいな
ありがとなって
聞けたら良いな
そうならなかった理由が
どこかにあるとも
思えなくて
もう、多分ずっと正気だから
お父さん、ありがとうって
お空に言ってみよう
って声かけた
で、私もお父さんにもっかい
ありがとう、って言った
お母さんにも
お母さんが元気になって
ごはんが美味しいって言った
ありがとうの意味です
(ちょっと遠いか)
だからえーせーに
朝はカッカしてごめんね
と伝えたいし
それも伝えるけど
それでも、私をママとして
いつも受け入れてくれて
(受け入れざるを得ないけど。笑)
ありがとう、と伝えたい
ピンと来るかな
来ないかなどっちだっていい
後悔したっていい
けど、その後悔への対処は
ごめんなさいじゃなくて
ありがとう。
今日は
みんなの心の中のありがとうで
世界中の後悔を癒す日としよう
花のような人生を送りましょう
響月ケシー
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