今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
バリに到着しました
旅レポはまた改めて
するとして
(移動でヘロヘロなくせに
思いきり観光してグロッキー)
今日はふと気がついたことを
シェア
“解らない“って
悩むこと、ありませんか。
感じたのですが
解らない、ということに
自覚がある人と
自覚がない人は
やっぱり別れてくると
思うんですね
で、この“解らない“という
迷いに晒されるのは
絶対にめちゃ良いことというか
祝福というか
人生を探求して
真の自由や幸福に出会える人の
条件なんだな、とさえ思ったんです
人生に迷う時は
なんで自分はこんなにも
危ういんだろうって
悲しくなること
あると思うんですね
それは恋愛や経済
子育てや夫婦関係など
あらゆる場面で
自分を見失っていると
感じるときがあって
で、孤立感とか
心もとない気分とかに
悩むと思うのですが
けど
“解る“という体感は
“人生と向き合う“という覚悟は
“解らないという悩みの中にある人“
にしか訪れないんですね
私には迷いがない
そういう他人を羨んだり
劣等感を感じたり
するかもしれませんが
その必要は全くないですよ
あなたは選ばれし
(あえてこういう表現するだけで
選民思想的に捉えないでくださいね)
自分を見つける旅に
出ている人なんです
そして、“見つけられるから“
“解らない“という状態を
宿しているんですね
わかる
は
わからない
のお母さん
“解らない“は
“解る“の親なんですね
解らなくならないと
解るが解らない
私自身も例外なくそうです
解らなかったから
途方もなく解らなかったから
“わかった“に
敏感になれた
そして、もちろん今でも
解らないことはあります
迷う時もあります
けど、解らなかった時が
あったからこそ
解った!ということが
大切に扱える
で、この“解った“というものを
何かカラダの外から与えられる
刺激のようなものだと考えて
追い求めてしまうと思うんですね
けど、実際は
あ、そうだったんだ。
と、歩んできた道を振り返って
納得するようなささやかなもので
コトリ、と落ちるような
そういう感覚だと思うんです
だから、解らないままで
進むしかなくて
解らなくてもいいから
歩みを進めるしかないんですね
大概が、カッコ悪い方へ
歩いていくわけですが
このことにふと気づいて
世界中の迷える人みんなを
心から応援したい気持ちになりましたよ
私自身も、もちろん
今でもそうだし
これからも丁寧にその
自分の“解らない“と
向き合っていく
だから、不安にならないで大丈夫
あなたはきっと振り返った時に
そうだったんだね、と
自分自身をギュッと抱きしめたくなる
愛を込めて
響月ケシー
コメント