ケシーです
ジュエリーデザイナーになる前は
なんでこんなダサいジュエリーしか
この世界にはないんだ!?
しかもたけぇ!高すぎる!
なんて、思っていたんですね
“だから私が作る“
という、そういう発想で
私はジュエリーを始めたのですが
作り始めてみると
その形状や仕組みの中に
たくさん詰まっている
昔の人が
“こうしたら美しく
見えるんじゃないか“
と、工夫し続けた歴史が
詰まってる
作ってみると
それがわかる
けど、それでも
私が思う美しさを
作ってみたい
とも思う
だから、昔の人の知恵と
私が今見てみたいと思う
新しい美しさとを
組み合わせて
そして、新しい
心と出会っていく
きっと、人生もそんな感じで
見てるだけだと
わからない愛が
いろんなところにたくさん
あるんだろうなと思います
わかった気になった勘違いで
何かを始める原動力になれば
良いのだけれども
ただ立ち止まって
見ているだけなのなら
やっぱり評論なんぞせずに
黙ってみておいて
もしかしたらそこには
私には解らない何かが
あるのかもしれないしな
って熟成させておく方が
人生を無用意に狭めなくて済む
そしてね
もしかしたら
“あの人“もそうかもしれない
なんで、あの人はこうなんだ
こういうやり方はああだよね
見てるだけの私たちの
頭の中には
いつもそういう言葉が
駆け巡る
けど、それは
自分の考え方を型どっている
いるように見えて
実は、自分を
じわじわとゆっくりと
不自由にしていくんだよね
だから、この前卍易の授業でも
(毎年生徒を持って風水を教えています)
思想は、柔らかめが一番良いよ
という話をしました
あの人のやり方を批評する前に
まず、自分のやり方でやってみる
上手く行ってる人のやり方を
頭でわかった気になる前に
自分なりに上手く取り入れてみる
みんな、それなりの工夫を凝らして
日々を生きてる
そして、それなりの葛藤も持っていて
先祖から代々つながる
魂の歴史も持っている
そういう目線で
全ての人を見ていると
この世界はなんてすごいんだ!
という何か“達した“感動が
体に訪れてくる
この素直さというか
馬鹿正直さというか
なんだかピュアな性質が
今まで私を何度も
泣かせてきたんだけど。(笑)
けど、全ての人は
それなりにちゃんと生きていて
それなりにちゃんと考えて
日々を生きてるって思ってる
そういうささやかな
名も知らぬ誰かへの配慮が
自分に
そよ風のような軽さを
もたらしてくれて
ここぞという時には
そこに信頼を寄せる
想いが強すぎると
それは重たい
自分が自分であるための
こだわりはいくらでも
持って良いと思うけど
誰かや世界に対して抱く思想は
ちょっと崩れてしまいそうなくらいの
柔らかさがちょうど良いと
私は思う
今、少し窮屈な世界だからこそ
そこに立ち戻って
ほら外にはせっかく
春の風が吹き始めてるから。
響月ケシー
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