皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる愛ある皆さま
今日もお読みくださり
本当に有難うございます
昔私が最もむちゃくちゃだった時
仲の良い
とても直観めいたセンスに恵まれた
お友達に
こんなことを
言われたことがありました
「ケシーって時々
”何もない”顔するんだよね
同じ顔する人が
ほかにもたまにいる」
その言葉をある日突然思い出して
ああ、なるほど
あの時私は自由だったんだ
と気が付いたのです
最近は、特に
気の合う人との出会いに
恵まれていて
ふと、先ほど
友達に言われたこの言葉を
思い出したのでした
宇宙の意図を辿って生きている人って
空っぽなんですね
社会的地位や
仕事、立場、年収にかかわらず
宇宙の意図を一手に引き受けて
生きている人には
共通して
肚の底に
”空っぽ”が
ある
スペースがある
それが、目の中に現れる
ふと、その瞳の奥
”何もない”のが
見える
厳密には
その”無限”が顔を出す
特に、何か別のところから
受け取って喋っている時や
何かをしている時
この空っぽの目の
奥底にあるものが放つ何かに
ゾッとする感覚さえあります
それが先ほど
ぼんやり思っていたものと
過去の友人の一言とがリンクして
突然ものすごく
腑に落ちたのでした
ああ、あの感覚なんだ、って
情熱や、欲望や、責任の目も
確かに力強いですが
その”ゾッ”とする感覚とは
また違ったものです
そんな宇宙の目を持つ人たちは
全ての人の盲点を見抜いて
全ての力を引き出して
飛び越えていくんだろうな
と、思います
それは、きっと
みんながリラックスして
空を見つめる目線の様なものだと
思います
色々なフィクションにまみれて
おもわくの中で生きている人の目は
時に情熱的で、ギラギラしていて
凄みがあったとしても
それは一方でまた別の
逆のエネルギーも秘めている
危うさも同時に併せ持っているものです
大切な事はこの
”何もない”
を、感じる事
鏡を見つめて
自分の目の奥にある”空っぽ”
宇宙に向けて
軽い気持ちで
いつも、ありがとうと
声をかけてみてください
きっと、その宇宙は
呼応して無限の中から
何かを引き出してくれるんじゃないかと
思います
何もない、を愛する
それがあなたに
全てある、をもたらしてくれます
響月ケシー
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