皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる皆さま
今日もお読みくださり本当にありがとうございます
今日もとぼとぼと書きますよ
沖縄にいる最中から
じんましんがすごくて
かゆいかゆい
見た目もあららな感じなので
残念なのですが
何かが出ていこうとしているという事にして
自分をめでています
そして、すさまじく眠い
翌日を休みにしていてよかったです
とても何もできないほどに眠い
もう、仕方ないぐらい眠いので
昨日なんて8時過ぎには寝ました
そして、朝起きて
頭にふと舞い降りてきた言葉は
私たちは汚い
という言葉
けど、それはとても
前向きな言葉でした
私たちは自分から切り離されたものを
無意識的に
汚いものだと
思うようにできています
例えば
唾液
口の中は唾液でいっぱいなのに
それが口から出て
口から離れたとたんに
嫌悪する
排泄だってそうですね
汚い、汚いと思いながら
お腹の中にある
お腹の中に排泄物がある事を
気持ち悪いとは思わない
人間関係でもそうです
自分の”内”だと思っているといとしいけれども
それが”外”に出て切り離れた瞬間
全てを批判的に見てしまう
そして、事実私たちは
色々な細菌にまみれている
始めて顕微鏡を作ったドイツ人だかオランダ人は
とりあえず自分の歯垢を顕微鏡で覗いてみた時に
おびただしい数の細菌に度肝を
ぬかしたそうです
そして、日本人はそれを知っていた
母親は子供の鼻に口をつけて
鼻水を平気で吸い上げた
日本の童謡には
自然、つまり自分の外側の環境と
自分自身との境目が
非常にあいまいなものが多く
私たちは”世界の一部”だと
解っていた
けれども戦後から
私たちは”個”を目指した
個性を確立しようとして
それと比例するように
除菌、殺菌、清潔、潔癖と
自分の外のものを
徹底的に排除していく
その思考はいろいろなものに取って代わって
偏った食の思想や
エネルギー的なアレルギーを持つ人たち
波動の高い低いや
霊的な成長度の高い低いや
色々な理由をつけて
とにかく自分にとって不要なものを
排除しよう排除しようとする
けれども
私たちが作った
あの原発や
虐待や
セクハラや
低次元の世界や
低俗な悩みや
視たくないすべてのもの
それらはすべて
私たちが作ったものです
まぎれもなく
100%私たちが作ったもの
私たちが1つなのであれば
それもきちんと視ていかなくてはいけない
自分だけ一抜けた、と
違う世界に行けるはずもないのです
全てを視る
だから
それらさえももう
共に生きていくしかない
けれども、自分から切り離されたものを嫌悪し
私たちはすぐ
対立する
対立して
指をさして
本当の問題の解決は
おざなりになる
問題は
ちゃんと見て
解いてあげなきゃいけない
だから、私たちは
汚いのです
汚いという事を
受け入れなくてはいけない
それはつまり
”綺麗”という幻に
踊ってはいけない
ということ
私たちは全員みんな平等に
汚いのです
その汚さをしっかりと見つめて
けど、どうしても説明がつかない
優しさを
どうしたって私たちは持っている
誰かを笑顔にしてやりたい
守ってやりたいという殿方と
どうか、あなたのままに
全てを許して応援してあげたい淑女が
どんな汚い私たちの中に
必ず息をひそめて座っている
だから、どちらも見てあげて
そして、どちらも認めてあげる事で
私たちは不要なエネルギー闘争から降りられる
沖縄での旅の途中で
大きな木の下で
みんなが一服した時がありました
私はあの時に
小さな世界をそこに視ました
親睦(神木)を深めるとは
こういう事かと
座って休む人
みんなの為に段取りを一生懸命議論する人
一緒に写真を撮る人
瞑想する人
それぞれがそれぞれの時間を過ごし
ああ、この街に
この木がある事が
どれだけの人の気持ちの下支えに
なっただろうか、と
憩いの場で私は
また一人感動していました
対立しない
そのためには”木の下”で
共に過ごす
そんな木のような人に
私はなりたいな、と
思ったのでした
あなたの中の好きなところ
あなたの中の嫌いなところ
どっちが多くても大丈夫
全て1つに
飲み込んでいく
すると、切り離されたあの人も
視たくないあの事件も
きちんと視れる
すると、あなたに一気に
宇宙のエネルギーが流れ出す
それ以上でもそれ以下でもない
ただのあなたを
目いっぱい愛する
この世界に花束を
両手を広げてハグを
たった一人の解放が
この世界を変えます
幸せな日々に
心を差し出して
小さな感動の中に
あなたはすべてを見つけます
何も必要ありません
愛のままに
響月ケシー