皆様ごきげんよう
ケシ―です
最先端を生きる皆様
今日もお読み下さり本当にありがとうございます
魂の旅から帰ってきました
誰も知らない神の島で
何とも言えない時間を過ごしました
そして、私は
携帯を
島に取られました。笑
良い写真が一杯あるのですが
お見せ出来ないのが残念
松の木の下に
キジムナーが居ました
私に似ていました。
神様、携帯返して。笑
(もう手配済みですが
復旧に1週間かかります)
まあ、私には
この体験の中にあったものを
言語化する役目があるようです
まだまだ頭はぼんやりしますが
受け取った感覚を
少し文字にしていこうと思います。
(これからの働き方シリーズも最終章まだ書き終えてないのに。笑)
今ここで
私が私だと思っている
この”私”って
一体何なんだろう
という思いが
ありました
ケシーは自分らしさ
というものを
大切に!という
メッセージを発信していましたし
これからはその
”自分らしさ”のままで
社会と繋がっていくと
そういう話をしていました。
けど、言語を超えた
もう1つ先の意識が
ある様な気がしたのです
そして、何がどうなって
そう思ったのかは
全く解らないのですが
私たちは
自分という存在を
意識しすぎるあまりに
いつも
根本的な嘘を抱えたまま
その嘘をどうにか
真実にしてしまわないと
不安だと
”一生懸命”
という思考の習慣と
”証明”
というエネルギー浪費を
する様です
けど、大いなる自然を目の当たりにした時には
あまりに、その自然が
”確か過ぎて”
自分の中にある”嘘”が
ありありと
その姿を現します
そして新たに入ってくる意識は
”それ以上でも
それ以下でもない
ただの私”
という気持ちでした
私たちは
口を開けば嘘ばかりつきます
それ以上でもそれ以下でもない
確かな自分の気持ちさえも
まともに表現できない
けれども
ありありと
確か過ぎる大自然を前に
ちょっとだけいつも
たった一人の時間を
それぞれの場で作ってみて
私が海の前で
座禅を組んだ時
私の中に残ったものは
ご先祖様の
SEXの歴史と
と
仲間とゲラゲラ笑う
幼稚な自意識でした
そのちっぽけさに
ひと刹那がっかりした後に
押し寄せる様にやってきた
強烈なロマンに
実に
感動しました
海を前にして
ポロポロ涙が
こぼれてきましたよ
ああ、たまたまなんだ
私が生きてる事や
こうやって仲間が居る事
最愛のえーせーという息子が居る事
全部
”たまたま”なんだ
そうかぁ
恋をして
体を合わせて
子供が産まれて
そして、その子供がまた
誰かに恋をして
体を重ねて
そしてまた子供が産まれて
家系や歴史や
ご先祖やカルマや
色々の中心にある
欠けてしまえば全て消えてしまう
大中心にあったものは
男女の恋愛と性の
繰り返し
そして、その”つなぎ目”には
必ず
笑顔と、ただただ
楽しい時間が
必ずあった
怖い顔ばかりして
私たちは体を重ねてきたはずは無くて
このたまたまの生命が
繋がってきた間には
必ず笑顔があって
楽しい時間があって
愛しさがあって
切なさがあって
私たちは恋をして
歴史を紡いできた
あまりに完璧で
あまりに楽しいから
転がりながら根本的な”嘘”
それはつまり
”自分が何かだという嘘”
を中心に
色々な言葉や
働きを通じて
”証明”の為の
もう1つの歴史も
繰り返している
海の前で
短パンで座る私は
ただの生き物の歴史の
最果てでした
えーせーという子を産んだ
一人の母であり
誰かを確かにその時愛した
一人の女であり
そして、その生命の歴史の中で
どうにか、生きようとする
それ以上でも
それ以下でもない
ご先祖様の
体を重ねた歴史の最果ての
私というただの生き物が
そこにいました
その2つの歴史を
今まさに1つにしていく
生き物としての
宇宙のかけらの私たちが
大きな時代の一部となって
動き出していく
人間が抱えた”嘘”の歴史と
とても純粋な”生き物”としての歴史とが
今、全てを超えて1つになっていく
すると、善だ悪だ
右だ、左だ
外だ、中だ
という垣根が全て消えていく
そしてその先に
私たちも想像できない
新しい世界がやってきた時
私たちは
この生命を通じて
何か大切なものを
表現していく
たまたまの中に現れる
”必然”的な
超越的な何か。
コミットメントという言葉があります
それは、覚悟や
成果を出す気持ち
みたいなイメージですが
本当の意味は
”すべてをゆだねる事”
という意味なようです
そして、委ねることが
出来る自分で
”ある”という事なんですね
そしてそれは
やっぱり
一番身近な
誰かと自分を
安心の中で
笑顔にしてやる事だなぁと
思ったんです
身近な人の
幸せ一杯の笑顔というものは
離島で出会った
あまりに確かな何かと
同じエネルギーを
放っています
けど、それを忘れて
自分とは何か、と
生きた痕跡を残そうとしたとたん
証明の歴史がまた始まります
けれども、その
ご先祖様の愛の歴史の
最果てである
自分自身を受け入れると
隣の人の笑顔以外は
全て委ねる事が
容易に出来る
そして、宇宙は
そうやって人々に
楽しく過ごしてもらいたいだけ
なんじゃないかって
けど、その”楽しい”
という中に
”なにか”があって
すると、その
”何か”に
感応する様に
宇宙があなたを通じて
何かを表現し始める
それは
勝手に
ボールが坂を
自然と転がり落ちる様に
進んでいく
その”なにか”は
あなたが今まで
必死に根本的な嘘に依拠して
望んできた全てを
向こうから
もたらしてくれるようです
人生とは実に甘美なものです
あっちかな、こっちかな
と迷う全てさえも
楽しむ事
そしてね
身近な人の悩みさえも
一緒に面白がってあげる事ですよ
何も心配はいりません
何も深刻な事はありません
ただ、好きな人見つけて
エッチして子供産んで
その子供笑かしてればよいのです。笑
なんてね
とりあえず第1話はこんな感じ
あと、思いついた事を
とぼとぼと言葉にしていきますよ
気長にね
愛のままに
いつでも私はここにいます。
響月ケシー
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