今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
良縁、悪縁、という話が
あると思います
で、私はこの“ご縁“という存在を
確かに感じながらも
それを
この縁は良縁です、とか
この縁は悪縁です、とか
そのように交わされる言葉に
なんとなく疑問を感じていました
その疑問が今日ようやくなんとなく
言葉になってので
それについて書いてみたいと思います
良縁とはつまり
自分にとって良い縁
さらには自分に都合の良い縁
自分を向上させてくれる縁
悪縁とは
自分にとって悪い縁であったり
自分を貶める縁とか
自分に都合の悪い縁とか
多分そういう話だと
思うのですが
私はその解釈に
非常に違和感があります
“縁“というものは
確かに存在します
けれども、この
“縁“というのは
私にとっては
“法則“という響きが正確
なんですね
つまり
“常に自分に相応しい相手が
目の前に現れる“
という法則が
この世界にはあまねく
作用している
その意味で“縁“は
非常に強固な法則です
あなたに縁のある人は
必ず
“あなたの思っていることを
証明するため“
に、現れます
そして、時には最高の気分をもたらし
時には最低の気分をもたらすことで
常にあなたをより良い世界へと
ガイドしています
そこには良縁も、悪縁もなく
“あなたが思っている世界に
あなたを連れていく“
という完全な法則に乗っ取った
巡り合わせなだけであります
良縁には、あなたの世界観を
証明する素晴らしい働きがあるし
悪縁には、あなたの世界観を
本来求めるものに矯正するための
働きがあります
そこに良し悪しは
存在しないのです
つまりあなたの人間関係は
あなたの世界観を証明する
1番わかりやすい指標となります
ということは究極
“人を見る目”
なんてものも
存在しないのです
そんなものはあってもなくても
縁は否応なく結びつきます
良縁も悪縁も、見極めるまでもなく
必ず法則として働きます
人を読み取る力や
判断力によって
操作できるものではないのです
なので
“良い人と付き合いたい“
という願望も無意味なのです
いつでもその根源は
“あなたが世界をどう思っているか”に
依存しているからです
いくら望んでも
あなたが悲しい世界を選択すれば
悲しい人で目の前が溢れます
怒りを選択すれば
怒りで目の前が溢れます
その操縦桿は
常にあなたの手にあるのです
私は、昨年ハナさんと出会うmで
恋愛でいい思いをしたことが
ほとんどありませんでした
めちゃくちゃ酔っ払いだったり
本当に嫌なやつだったり
浮気癖があったり
私を大切にしない人だったり
全く向上心が無かったり
本当にそういう人ばかりと
縁があったんですね
(元彼たちごめん、けど本音です)
けど、紆余曲折を経て
自分自身を見直し
5年の恋愛冷却期間を経て
今やっと
幸せなパートナーに
出会えていると思います
けど今になると
その時の私に
相応しい相手が
現れていたのだと
よく理解できるのです
今頃は元彼のみんなも
良い世界観の女性と出会えて
いい男になってくれていたらいいなと
そう思います
あなたがどんな人と出会い
どんな関係を育んでいくか
それは常に
“私が世界をどう思っているか“
に相応しい人と
縁を結んでいくのです
この人じゃない
この人じゃない
と思っていたとしても
あなたにはその彼が
相応しいのです
あなたが同じ世界観で
いる限りは
相手を変えたって
同じ事が起こり続けます
しかし、その
あなたをいつも不幸にする
最悪の彼だって
世界を最高に信頼している
どこかの誰かと出会えば
また違う男性としての人生を
送る可能性だってあるのです
それはつまり
今のあなたのパートナーも
あなたの世界観が変われば
瞬時にたちまち違う人間のように
生まれ変わることも
平気であり得る事なのです
悪縁も良縁もないのです
あるのは“あなたの世界の見方“だけ
あなたがもし
今の人間関係に苦しんだ時
それを“相手のせい“だとしてしまうのは
あなたを悪縁と良縁の世界に
閉じ込める甘い罠です
これは、自分の生き方の
せいなのではないか、と
痛みを感じながらも直視した時
あなたはついに
人間関係の自由を手に入れるのです
それからは
ただただ自分の在り方に
向き合うだけで
あなたは誰のことも
見極める必要が無くなります
愛を込めて
あなたは生まれながらにして
真の自由を常に
与えられています
その自由な人間関係の
第一歩になる講座
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響月ケシー
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