今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
私が大好きな映画に
『ギフテッド』
という映画があります
母親が自殺した天才少女メアリーが
自分の叔父(お母さんの兄弟)と
一緒に暮らす話なのですが
メアリーはその才能故に
その才能を最高に活かした教育を
受けさせたい祖母イヴリンと
子供なんだから子供らしく
育ててやろうぜ、っという叔父フランクの間の
裁判に巻き込まれてしまいます
そして、その論争の最中
メアリーは早いうちに
母親が自殺してしまったので
知能が高いこともあり
自分は本当に愛されて生まれてきたのか
という苦悩を抱きます
その時にフランクが取った行動が
素晴らしくて
産婦人科の待合室にメアリーを連れて行って
メアリーと一緒にただただ
生まれてくる子供達に歓喜する
親の姿を眺めるのです
何回も何回も繰り広げられる
子供の誕生を喜び涙する親たちの姿
メアリーはそれを見て
“私も愛されて生まれてきたんだ“という
体験を得て
自分の出生にまつわる迷いから
解放される、というシーンがあるのですが
これは、もう本当に
示唆的で素晴らしいシーンなので
ぜひ、みなさんにも見て欲しいです
(今夜は子供寝かせた後に見よう!)
何か素晴らしいものを
目の当たりにした時に
・あれは自分が得られなかったものだ
と、自分をより悲しくさせる人は
“自分を悲しませたい“
という強い欲求から
解き放たれていないという事なのです
けれども
“私は喜びを持って生きていきたい“
という強い欲求を持つならば
その光景を目の当たりにした時に
“私もあの様に愛されて生まれて来たかも知れない“
と、自らを幸せや喜びに導く
たねとすることができるのです
その瞬間の出来事や
その瞬間の感情に
私たちは日々飲まれているように
感じていますが
本当は
“自分をどうしたいか“
という強い前提となる世界観に
支配されています
その、巧みに隠された
“自分を悲しませたい“
“自分を大変な思いにさせたい“
という、あなた自身の世界観の中の悪意を
たくみに見抜いて
打ち破る必要があります
自分はそんな事を選んでいない
自分はそんな事を望んでいない
自分はただただに不運であると
そうしてしまいたい影には
実は非常に緻密に計算された
“傷つきたくない“という思いが
隠されています
その傷つきたくない、という思いとは
恥をかきたくない
失敗をしたくない
責任を負いたくない
など色々あると思います
けど、それは全て
あなた自身を傷つけたくないという
愛でもあるのです
ただ、どうせ同じ愛であるのなら
自らを成長させていく愛にしたくないですか?
自らを自らの力で
素晴らしい人生にしていくことができる
胸を張って自信持って
“自分の人生だ“と言える愛に
したくないですか?
あなたの中には
自分を思う愛以外には
存在していません
ただ、それが
あなたの気持ちが
楽にリラックスできる形に
上手く整えることが
できなかっただけ
そしてそれは
今からでも始めることができます
誰にでも、どんな時でも
始めることができます
原理原則のすゝめ
2期生の募集が近日中に始まります
インスタグラムと
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その後にブログでも残席あれば
告知します。
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愛を込めて
響月ケシー
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