皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる愛ある皆さま
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
おかげさまで
これからの豊かさを書き終えた後から
私自身にも大きな変容が
訪れつつあります
皆さまも一緒に
楽しんでまいりましょうね♪
そして、いくつかコメントに
質問があったので
回答したいと思います
<回答>
正に、凄まじい体験を
経たんだなぁ・・と想って
読んでいて驚き
そして、とても淡々と
それを受け止めてられる事にも
”被害者を脱する”という貴重な
気付きを経たのだろうという事に
素直に尊敬の念を抱きます。
ただ、それが
”許し”で正解なのかどうか
という問いには
私は自信をもって
YESともNOとも
答える事は出来ません
なぜなら、私もまだ
許しの境地を目指す道中の
人間だからです
許しというものは
ある種の”完結”を差すものでは
無いんじゃないかな、という
気持ちがあって
許しを”意図”する時
それは徐々に
水の様に
時を経るごとに
深みを深めていく感覚があります
ただ、あなたが許しを
”意図”した時に
それは、少しずつ歯車を
回し始めます
私の中での許しの境地は
自分を痛めつけたであろう相手さえも
その癒しと、幸福を祈る
そういう事だと思いますが
それは、大変に困難を伴う
精神の鍛錬が必要だという事も
同時にわきまえているつもりです
たとえばですよ
(嫌な気分になったらごめんなさいね)
もし、お父様が
自分のやってしまった事に
後悔をして、恐れを抱いているとしたら
そのお父様の中に
あるかもしれない苦しみが
癒える事を祈るという事
もし、お父様が
罪や、後悔の念を
一切抱いていないのだとしたら
その様な”異常”を携えて
産まれてきたその人生の苦しみが
いつか(死後にでも)癒える事を祈る
そういう境地が
究極かもしれないな
と思います
が、それを
それが正解だから
そうして下さい
何てことは
私はあなたに
言えないな、と思うんです
人によって苦しみの深さも
それがどれだけに影響したかも
全く違うと思います
想像にも限界がありますよね。
けど、私はあなたが超えてきた
その道を
大切に扱いたいと思うし
故に、この様な曖昧な回答に
なってしまうのですが
あなたが
懸命に生きてこられた!!
という事だけは
回答として、お伝えできたら良いなと
思いました。
勇気ある質問ありがとう
<回答>
とっても簡単です
① 相手が自らで自らを癒す力があると信頼する
② そのうえで、癒されてください、と”意図”する
それだけで、フォトンエネルギーのトンネルが現れ
相手にフォトンエネルギーが届きます。
相手が自らで自らを癒す事による信頼が
前提にあれば、あなたのフォトンエネルギーは
損なわれる事はありません。
けど、もしここに少しでも
”自分こそが癒す”という条件が入ったり
”こうなれ”という制限が入ると
それは、時として支配になり
時として、相手のエネルギーを
枯渇させることとなります
原理としてはこんな感じですが
結果を定めずに、真に見守る
という事かなぁと思います
けど、何のために祈るか?
という事が最も重要な気もします
あなたは何のために祈りますか?
愛をこめて
響月ケシー
コメント
コメント一覧 (3件)
慈悲の瞑想ってフォトンエネルギーを届けることなのか!
回答ありがとうございます!
ただ、祈りたいから祈るです。
相手が幸せでいてくれたら嬉しいです。
ケシーさん、回答ありがとうございました。
たくさんの愛で一言一言、包んでくださったように感じ、とても心温まりました。まさか、この経験を通して、このような形で誰かの愛にふれることがあろうとは思いもよらず、涙が出ました。そして、『許し』について、私はどこか『正解』を欲していたのだな、と気がつきました。また、現実で、何かしらの関わりを持つことが『許し』なのかな、と思ってもいました。これからも、私自身にとって、どのような形で『許し』祈るのか、向き合っていこうと思います。本当に、ありがとうございました。