今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
サイババの本やら読んでいたら
度々出てくるのが
“執着“を手放せ、という話
で、わたしは自分自身を振り返ると
執着たっぷり。もっちり。こんもり。
わたしはこうなりたい
ああなりたいっていっぱいある。
もちろん今の私の毎日に対する
感謝は忘れないけれども
(これは習慣にするだけ)
こんなことも体験したい
あんなことも体験したい
し
パートナーや子供にも
執着てんこもり
ああ、てんこ盛り。
これを感じなくなりたい
とは、全然思わなくて
で、思ったことなのだけど
執着を手放すことに執着するのも
おかしな話だし
神様は何一つ
無駄なものは作らない
と、したら
この執着は
私の魂の旅に必要なもの
なのではないか
という結論に達したわけ。
じゃあ、これでいいじゃないか。
今はこのままでいい
というのが
執着から解き放たれている
気もしてきた
で、気付いたの
“今じゃ嫌だ。あれがいい。“
と思うことが
執着なんだ
だから、今あることを
ちゃんと受け取るだけで
執着からは
解き放たれているんだ
ああ、そうなんだ
今のままでいい
このわたしでいい
このメンバーでいい
(家族とかパートナーとか)
って思うことが
執着を手放すということなんだ
で、執着の言葉の意味を調べてみたら
ある物・事に強くひかれ
深く思い込んでどうしても忘れ切れないこと。
ということらしい
つまり、執着から
解き放たれるとは
なんでもいい。と思うこと
のようだ
お金持ちになりたいとか
綺麗になりたいとか
もっとこういう勉強したいとか
そう思うこと自体が
執着かと思っていたけど
それは思ってもいいんだ
けど、こういうやり方じゃなきゃダメとか
今の私じゃダメとか
この人たちとじゃダメとか
そういうことが執着なんだって
気がついて
すっごい気持ちが楽になった
言葉を乱暴に使って
自分を責めてしまう時は
言葉の方を噛み砕いていく
だって、あなたは
一生涯、このあなたと
生きていかなきゃ
いけないんだから
雨が降ってる時は
傘を刺せばいい
雨をやませよう
しなくていい
簡単な方から常に
自分に寄せていく
愛を込めて
あなたは何もかも
すでに持っている。
響月ケシー
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