今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
つらつらとフィリピン旅行記を
書き連ねていきたいと思います
結構長くなるかな。笑
まずは出発

まず初日、7人での移動は
本当に大変
(車いす1人、おじいちゃん、外国人、2歳、6歳を成人2人で移動するのは至難の業だった。笑)

初めての空港に
キャッキャする子供達と
全ての手続き系をやらなきゃいけないことと
まーもう大変
飛行機に乗った時点で
もうクタクタだったけど
どうにかフィリピンに到着
時刻は18時過ぎ
飛行機も嫌いだし私はもうフラフラ
出国手続きするまでの
遠い遠い廊下を歩きながら
フィリピンの人たちが
お客様用の車椅子に座りながら
歌を歌いながら働いている
適当だ!
いきなりそのギャップを目の当たりにして
ああ、日本ではこんな態度は
許されないな、と実感する
真面目だ、日本人は真面目だ
自らにその真面目さを課するあまりに
他人のゆるさにも目くじらを立てる
それがいい悪いは議論しないが
(それで享受してる心地よさにも自覚はある)
ここには“それ“つまり他人にも自分にも課する厳しい目線が
一切無いのだと言うことがわかった
とはいえ、ただゆるくて怠けていて
全くサービス精神がないかといえば
こっちが悪くなるほどに
サービスがいい
荷物受け取り場のお兄ちゃんに
車椅子を貸してくれないか、と
お願いしたら
永遠とついてきてくれて
(車椅子盗難防止もあるだろうけど)
我々7人分の途方もない荷物を
従兄弟とそのフィアンセのバンに
積むところまで
一滴の苛立ちもなく
付き合ってくれる
(いとこと彼女のフィアンセが空港まで迎えに来てくれていた
彼らは本当に素敵で、彼らの話もどこかでしたい。)
ハナさんの方がどうにも彼に
申し訳なさそうに
早くしよ早くしよって
ワタワタしていたけど
ここの人たちの体の中に流れている時空は日本人のそれとは全く異次元なんだとわかるほどのゆったりさで、丁寧に母をバンに乗せ、重たい荷物も諸共せず積みあげた
日本人は絶対に歌わないし、車椅子に乗って回ったりして遊んだりはしないけど、きっと持ち場を離れてここまでのサービスをすることもない(したい気持ちがあっても出来ない)
ありがたくって、チップを渡した
なるほどチップってこういうことか。
空港を出た瞬間に
肺の奥まで到達する
ムワンとした空気
排気ガスと、どこからか漂う
下水と脂っこい料理のような香りに
ああ、ここがフィリピンなのか、と
初めて降り立った土地の空気に
ドキドキした
そこから多分ほんの車で10分ほどの距離を
1時間かけて移動する
フィリピンの渋滞はマジですごい
半端じゃない
世界最悪と言われる所以がよくわかった
動かないレベルが本当に尋常じゃない
全然動かない
日本の計算尽くされた交通事情に
本当に感謝した
けど、一方で爆発的な人口増加と活気も
目の当たりにした
彼らは求めている
何か楽しいことや
ワクワクするものを
それが街の流れから
感じられた
この半端じゃ無いエネルギーを感じながら

バンの中は荷物と人間でこんな感じに箱詰め。
私は頭がおかしくなりそうだったけど
とりあえずマニラのホテルにチェックイン
ラウニオンに向かうのは明日
今日はとりあえずマニラで一眠りすることになっていた


マニラは臭かった。笑
そして、私の“あなたへ“も手がけてくれた
門下生のUniさんが、旦那さんの赴任に
ついて来ていてマニラに暮らしていたので
ハナさんとUniさんのご主人との4人で落ち合った
(写真を撮り忘れていたことを悔やむ)
急遽のお誘いだったのに
快く予定を開けてくれて
本当にありがたかった
スペイン料理店でミュージシャンの歌う
フラメンコ的な音楽を聴きながら
本当に懐かしくていろんな話をした
(フィリピン歌手が上を向いて歩こうと
エリーマイラブを歌ってくれた)
Uniさんのフィリピンでの暮らしは
それなりに楽しいようで
充実している様子だったが
七月末で日本に帰国してしまうらしい
実際は六月末に帰国予定だったのが
奇妙な手違いで1ヶ月伸びた事で
私たちと会うことができた
これも神様の思し召しだ。
門下生と会うのはいつもとても嬉しい
みんな幸せそうにしているからだ
本当に本当にそれが私は嬉しい
Uniさんも出会った頃は
パートナーを求めていた
今は本当に素晴らしいパートナーを得て
幸せそうに暮らしている
(本当に優しそうでぴったりなご主人だ)
Uniさんと別れてから
ホテルに戻って少し飲み直したくて
近所のコンビニでビールを買って帰る

フィリピンでは栓抜きを貸してくれない
盗難防止なんだと思う。
いいホテルでも対応は同じ
ヒルトンでもそう。
何もかもが盗まれないように対策されている
何もかも貸してくれない
使い捨ての割り箸はくれる。
それだけ盗む人が
多いんだと思う
平均月収4万円の国で
物価は日本と遜色ないレベル
しかもこの“何かを求める活気“
“何者かにならんとするパワー“
従兄弟のフィアンセと世間話していても
腹の底から感じる
“金持ちになってやる“というパワー
知恵がありゃ考えるだろうけど
知恵に恵まれなかった人(それもたくさんの)は
盗むだろうな
善人とか悪人とか関係なく
そのボーダーラインはとても身近に
あるんだろうな、と思う
だから、物を守らざるを得ない
その実態をああだこうだと
評価はする必要はないだろう
ただ、その現象が起きているだけだ
自分が受け入れられるところだけを
受け入れればいいと思う
けど、その背景までちゃんと考えれば
別にそこまで苛立つことの程は
どこにもないもので
私は案外どこでも生きていけるのかも
と、思った
けど、部屋まで
ビール開けに来て!って頼むと
はいはい!とすぐ来てくれる
笑顔で、楽しんでね、と言ってくれる。
それはそれで気分がいい
日本とフィリピンの人口は同じ
ただ、その実態は大きく異なる
なんせフィリピンの平均年齢は24歳だ
日本は48歳
日本という国は老いているとも言えるし
熟成しているとも本当に言える
フィリピンという国は若い
未熟とも言えるし、可能性とも言える
そのどちらにも輝きがあって
それは簡単に評価できることじゃない
ただ、自分が受け入れられるところを
受け入れながら
共にあればいいと思う
私の父と母のように
全て受け入れられることが
いいことでもないし
受け入れられないことが
悪いことでもない
世界と折衷案を出し合いながら
付き合っていけるかどうかは
1つの大切な智慧なんだろうと思う
人との付き合い方もそう
私たちはいつも自分のことを棚に上げて
(逆にいうとそのために正義を求めるのかもしれないが)
全て受け入れられる、という事を求めるが
それは孤独への大行進となる
帰国直前にりゅうちぇるさんの訃報を聞いた
りゅうちぇるさんは
男である事、父であること
そして同時に女である事と
家族を支えることと
自分の人生を求めることとの
両方を追い求めた
誰かのために生きることと
自分のために生きることの
その両方を追い求めて何が悪いんだろう
自分のために生きることを
諦めた人たちから
強烈なバッシングを受けていた
離婚することで
子供を捨てたとして
自分を求めることで
子供を持ったことを自分勝手だと
バッシングされた
誰かを大切にしながら愛しながら
自分のことを大切にしながら愛することの
その両方を諦めたくなかった彼を
まだ日本には受け入れる器がなかった
その事実を私は想像以上に重たく
受け止めていて
このフィリピンと日本の間で
受け入れる、折衷案を出しながら
共に抱きしめ合いながら
生きていくことの
本当の大切さをひしひしと感じた
そして、また1つ私は
強くなった感じもある
これから世界を渡り歩こうと思う私にとって
とても大切な初日だった
続きます
響月ケシー