皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる愛ある皆さま
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
東京の鑑定枠が
瞬時に埋まりまして
ああ、ありがたや・・
本当にいつもありがとうございます
そして表題の件ですが
愛については
色々語られますね
人生において
”わたし”の幸せというものは
とても重要なテーマですね
これは、動物としての愛です
みんな産まれてからすぐに
持っています
えーせーはお菓子をもらえないと
泣いて怒ります
寝ているところを
起こされると
起こしたなーと怒ります
これは紛れもなく
動物としての自己愛です
これは、とても重要で
自分を優先する
自分の心地よさを追求するという
大切な能力です
そして、我々は次に
”神の愛”を語りだします
”あなたの幸せ”という価値観が
入ってきます
全てを受け入れ
全てを愛し
他人を受け入れる事を
学びます
時にはバランスを崩しながら
何かに救われようとしてか
自分を犠牲にしてまで
誰かを愛そうとする
私たちはそんな
”神の愛”を学びます
けれどもそのほとんどは
愛されるための方法論に
過ぎないものです
けれども
私たちの中に眠る
最も重要なもう1つの愛は
人間の愛です
それは
お互いの幸せを
考えていくことです
人間の愛というものは
技術です
愛される方法論でもなければ
自分1人で幸せになる方法論でもなく
共に学ぶ事に
他ならないのです
本能的な動物の愛による
欲を持つ私たちは
いずれ神の愛にあこがれ
神をまねる事で愛されようとします
けれども、本当に大切なことは
人間として
愛する事を学ぶこと
そして、愛するという事は
技術です
けれども、私たちは常に
”愛させてくれる誰か”や
”内から目覚める何かミラクルな愛”
を
いつまでたっても
心待ちにして
肝心の愛の能力を
あげられずにいます
そして、その間違った理屈は
必ず”恐怖”から
作り上げられています
その恐怖は
”愛されないこと”のように
感じられます
けれども、本当は
私たちは全員
”愛する事”に恐れています
その恐れは
”自分は傷つくに違いない!”
と確信しているのです
問題はそれで実際に傷つくことや
愛されないことではありません
その強く握りしめている
確信によって
愛を出し惜しみしている人
ばかりな事です
人間の愛の鍛錬とは
自分の幸せばかりを追求する事でもなく
神の愛の真似事で
自分を消してしまう事でもなく
この恐怖からせき止められている
自らの愛を
解放させてやる事なのです
愛されなくたって良い
傷ついたって良い
私は自分を大切にしながら
だれかを無条件で愛する事で
喜びの人生を、覚えていく
と、そう決めた時
宇宙の意識を持つ
人間という生き物は
動物とも神とも違う
真の意識にたどり着きます
私たちには
神には無い
”恐れ”があります
その恐れの先には
この地球上の
真の愛
それは
目の前の人と踊る事
今を”共に楽しむ”という
究極の愛が
存在するのです
そして、それは
もたらされるものでもなく
突然目覚めるものでもなく
決断する事
なのです
全てを超えて
自分の嫌なところも
相手の嫌なところも
抱きしめて
ちょうどいいところを
一緒に探そうよ
共に踊りましょう
そんな事が
これからの人生なようです
愛をこめて
これからの人生は
愛に満ち溢れています
響月ケシー
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