今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
この世の全ては
“安心“を売っていると
思っていいと思います
もちろん食事は
生きられる安心
美しさは
人に受け入れられる安心
保険は
死んだ後の家族の安心
何もかもが
あらゆるタイプの
“安心“を
販売しているのだと思います
私の母は毎日毎日
“お金無いよ!!“と
私にいう人でした
お金ないお金ない
と毎日聞かされながら生きるのは
本当に精神衛生上悪いです
何をするのにも
罪悪感でいっぱいになります
けど、いつもいつも
お金ないよ、お金ないよ
と言われていました
けど、お金はきっと
ありました
大学にも行かせてくれました
下宿もさせてくれました
なんだかんだ
そうやってくれてるので
生きていくにあたって
馬力になり得るような
納得感のある貧しさは
全くありませんでしたが
お金ないよ!
という言葉は
なんとなく私を
とても荒廃的な気持ちに
させるには十分でした
冒頭の話に戻りますが
私たちのすべての行動は
“安心“を目指してる
でいうと
母はきっと
節約したかったのかな
って思います
お金がどんどん
減っていくのが
怖かったのかな、と
思います
明日も安心して
生きていけるために
その安心感のために
そうやって
言っちゃったのかも
しれません
それは愛だったのか?
それは大した問題では
ありません
けど、私がそれを
愛だったと思うかどうかは
とても重要です
ほとんど全ての事は
遡っていけば
愛にたどり着くことが
できます。
けど、無理に愛だと思う必要は
ありません
そう思えないことが
この世にあることも
とても自然なことです
しかし、その時は
突然訪れます
とても受け入れ難かったことが
ある日突然
それも愛の1つだったと
気がつくことがあります
だから
それが愛だったかどうか
相手がそれを
愛として行ったかどうかを
ジャッジして評価することをやめて
(その考え方は自然と
愛されていないという結果に
流れ着いてしまいます
なぜならいかなる人の愛し方も
私たちはコントロールできないので
望み通りの愛され方を
見つけ続けることはほとんど
不可能だからです)
自分がそれを
愛と思うかどうかだけに
気をつけてみてください
それはいつでも自由で
そして、あなたに最も
影響することであります
つまりあなたがそう思えば
それはあなたの人生を
愛で溢れたものにするのです
愛を込めて
響月ケシー
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