今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
ちょっと違う話だけど
広末涼子さんと
キャンドルジュンさん
かわいそうだなぁと思った。
私、思うのだけれども
不倫の間違いの本当の問題点は
・すでに好きではなくなった
パートナーとの関係を
解消することのハードルが高すぎること
→好きじゃない相手と一緒にいなくては
いけないから、不倫の発生頻度は高まる。
・婚姻の実態が好意と性欲から
ずれているのに、それが
要件とされていること
→経済的パートナーと、恋愛のパートナーを
必ずしも一致させないといけないから
歪みがどうしても生じる
だと思ってて
この社会の最小単位が
性的マジョリティーである
男と女のカップルでいけないと
定義するからいろいろ
おかしくなるわけであって
どうしたって必ず
紐付けされる親子の結び付けだけは
法律で様々な守りがあっても
いいと思うけど
いわゆる
パートナや家族に関しては
もはや実態と伴わない社会規範は
少しずつ解体されるべきだと思う
昨今の非恋愛化や
いずれ訪れる世界的な少子高齢化を
考えると
今の家族イメージは解体されなくては
仕方ないと思っていて
稼げるけど孤独な人とか
子育てを助けてほしい孤独な人とか
誰かを世話したい孤独な人とかが
性的魅力を感じ合う異性同士でなくては
いけない必要なんて
もはや無いんじゃないかと思っていて
いわゆる“家族“
それはパパがいて
ママがいて子供がいて
ニコニコ平和で健康で
と言うファミリー像が
解体されていく
男同士のカップルもいれば
女性3人組の家族もいれば
我が家のような巨大家族もいれば
いろんな家や家族の形が
あっていいように許していかないと
もう、成り立たなくなってきてるんじゃ
ないのかなぁ、と。
そんな中で
アカデミー賞に関して
出演者やスタッフに女性、人種/民族的マイノリティ
LGBTQ+、障害者がいないような作品には
作品賞の応募資格が与えられないことになりました
アリエルも主人公が
黒人さんだったことが
物議を呼んだり
はっきりと
このアカデミー賞の取り決めに
“吐き気がする“と言い捨てた
俳優さんがいるとかで
いろいろですが
皆さんはどう思いますか?
私は、全く持って大賛成
やはりアカデミー賞は
最先端なんだなぁと思った
と言うかね
本物の多様性が実現される頃には
女性やLGBTQ、少数民族も
その“言葉“さえ意識しない
世界線になっていて
小児性愛もロリータコンプレックスも
熟女フェチも存在していい
そういう空気。
男性が男性に恋心を抱く事を
認めるということは
成人が小児に恋心を抱く事も
認めなくちゃいけなくない?
(もちろん犯罪行為はダメだし
まともな判断能力がない子供と大人を
結婚や関係させるのはダメだと思うけど
小児に対して愛を抱いてしまうことは
誰にも止められないでしょう?)
無かったことにする
いなかったことのする
という静かな暴力をやめるということは
そういうことなんだと思ってて
あらゆるこの世界のマイノリティーが
自分に正直に生きるために
わざわざ声をあげたり議論する必要もなく
誰かにわかってもらおうとする
必要さえもない
そんな世界を作るためには
世界最先端のハリウッドが
無理矢理にでも当たり前に
エンターテイメントの最先端に
今はまだ異端とされる要素を
しっかりと馴染ませるということは
その第一歩だと思ったの
だから私は大賛成
それで芸術の幅が・・とか
アートに制限をかけるのは・・
みたいな
そういう意見もたくさん見るんだけど
だったら
アカデミー狙わなきゃいいよね
それにきっと
本当の天才は
りんごを描きなさい
って指示されても
めちゃくちゃ自分なりの
りんごが描けるんだと
私は思うんだよね
本物の芸術家は
そんな制限を恨んだり
しないんじゃないかと思うんだけど
なんで、みんなこの決まりに
そんなに怒るんだろう?
私にはこの取り決めに
怒る声が
マイノリティーとか
LGBTQとか、少数民族とか
異常性癖とか
今まで通り
無かったことにしようよ
って
意識せずとも生まれながらにして
マジョリティーに属していて
その恩恵にも気づいていない人たちの
無意識の暴力的な声に聞こえて
私にはとても気色が悪い
誰も人の心の感性は
操作できないのに
誰かを排他しようとしないと
決めることは
自分もいずれ排他されることがない
世界への第一歩だよ
と、私は思う
みんなが主張する必要さえも
ないほど互いを
認め合える世界に
子供達を送りたいね。
愛を込めて
響月ケシー
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