今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
自分は足りてない。
この思いに苦しむ人は
多いと思います
何を隠そう私もそうです
どこのどんなタイミングで
植え付けたのか
私にはその空虚があります
いつも誰かと対峙するときに
“私は至ってない“という心が
顔を出すのです
特に、男性を目の前にした時
“私は十分な女ではない“という心が
とても強く湧き起こってきます
これが私の一部を
阻んでいることもわかっていますが
36歳になったので
それなりに、同時にそれを補って有り余る
私なりの“才能“もあることも
わかっています
けど、私がその心の空虚を
感じない場所というものがあります
それは子供たちと共にある時です
子供たちは私を“足りないひと“だと
評価することはありません
これが欲しい、あれが欲しいと
要求することは
当然他の大人や男性よりも多いですが
けど、それが私に
“私が至らないからだ“という
気持ちを突きつけることは
1度もないのです
それは彼、彼女の
心の純粋性が
私に映し出してくれているもので
そして、きっと
私の心の純粋性も
彼らに映し出してもらえてるのだと
思います
本当に子供に日々
救われています
で、これからは
この“空虚“を
できるだけ再評価して
そんなことないよって
自分を慰めて上げられたらな、って
思います
私は足りない
私は十分じゃない
これはまだそこまで刺激されませんが
私は女としては足りない
私は女としては十分じゃない
となると
かなり鋭利に私の心に
響いてくるものがあります
けど、そんなはずはないですよね
きっとそんなことはないと思います
それもどこかで淡い期待のような心で
そうじゃないよね、って
確かめたい自分がいます
けど、そのためにはまず
子供たちと共にある時の私自身のままで
もっと外の世界と繋がっていく必要が
あるのだと思います
純粋で、愛に満ちていて
信頼に満ちていて
そういう、子供たちと共にある時の
気持ちで、外の世界と
もっとちゃんと繋がって行けたらいいな、って
おもっています
風水の門下生も似たようなところがあります
好きで好きで大好きな風水や占いについて
分かち合う中で
とても純粋な尊敬と信頼を頂く事があります
そして、私も同じように
門下生のみんなを信頼し尊重したいと
いつも思っています
けど、やっぱり
“私は師匠として足りない“
のお化けは時々出てきます
けど、このおばけが
私の向上心に代わっている点も
少なからずあるので
今まではとりあえずありがとう、と
けど、これからはもっと
自分は足りてる。
あなたも足りている。
十分であるのです。
みんな幸福であるのです。
と、知らしめて(自分に)
生きていきたいな、って思います
愛を込めて
大丈夫、あなたは
足りなくない。
響月ケシー
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