今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
リライトするまでに
助走がいるんです。笑
しかもフォトンに関しては
新情報もあるので
それも書き上げたいのですが
同時に卒業生の試験ラッシュに
新入生の迎え入れと
なかなかに忙しい日々を過ごしています
(と、程よく言い訳してます。笑)
で、思ったのですが
ファンとかアンチって
ありますよね
おかげ様であんまり
ネット上でアンチされる事は
ないのですが
(個性が薄いのか!?)
私には、熱狂的なファンも
いる感じがしません
(おっと、これは愛を込めて
こう表現していますよ)
私のことをすごく支援してくれている
信頼できる門下生はじめとする仲間や
読者さんはいるけども
私の目から見ると
彼女たち、彼らはとても“冷静“
なんですね
とても対等で
私のこともとても客観的に冷静に
見てくれている感じがあって
私の中にすごいところも見つけてくれるし
“ケシーさんはこういうの苦手だよね“
ってところもわかってくれている感じがして
とても安心しています
で、ここからは人を観察していて
感じたことなのですが
私のように“発信者“の立場の人にとって
一番危険なのはもしかしたら
アンチよりも
“熱狂的な信者“なんじゃないかな
って思ったのです
私が思うに“アンチ“と言うのは
潜在的なものも、健在しているものも
どちらもやはり“エネルギー“なんですね
私にもきっと
下手したら相当恨まれてるかもしれないな・・
という人もいるのですが
彼らのそういう怨念が
具体的に私に作用したことは
皆無です
全くの無影響です
むしろ、どんどん向上していきます
だけど、私が
ちょっと危険な状況になる時、と言うのは
必ずそばに“信者的な人“が
いたんですね
で、判断を誤ったり
おかしな方向にエネルギーを注いでしまう
と言う出来事が起こる
気をつけなくてはいけないのは
この“熱狂的な信者“です
特徴としては
“この人を世に出そう!“とか
“この人はもっと世に出るべき人だ!“
みたいなオーラや雰囲気や
はたまたダイレクトに
そういった言葉を使う人です
(もちろん中には純粋な気持ちで
そういう想いを持っている人もいるのですが
微妙にその重たさに違いがあるんですね)
彼らは
あなたを愛しているのではなくて
本質的には
“あなたを使って倒したい誰かがいる“
のです
だから、より
自分の武器になるように
振る舞ってほしいし
自分の尊厳を保ってくれるように
発言してほしいので
絶妙にコントロールが入ります
彼らにとって
その“発信者“は“道具“に
過ぎないのです
そして、そう言う人が
現れる時というのは
自分の中に同等の
“認められたい欲求“が
あるものなのです
だから、認められようとだなんて
間違っても思わないことです
あなたが“承認“を求めたときに
同時に誰かがあなたを
“私も同時に承認されよう“と
道具にし始めます
だから、あなたがもしかすると
心地よいと感じるような
熱狂的な信者が身の回りに
現れたとき
それは
“認められようとなど
しなくていいのです“
というサインに他なりません
あなたはすでに
認められているのです
すでに承認されているのです
もうそれ以上は何もいらない
あなたは常に
“あなたに従って“
素直に自分であるべきなのです
愛を込めて
響月ケシー
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