ケシーです
昨日は卍易風水講座でした。
やっと遂に、風水を習得する事になり
テンションマックスで
たくさんお話しましたね
楽しかったです
おやつは定番ですね❤️
飛び散るチョコが素敵ですね❤️
今は部屋でデザインの調整などしながら
えーせーとえまの存在を
細胞で感じ、歓喜の中
昨日のチョコを摘んでおります
そして、いろんな話をしている中で
私自身の子供の頃の世界の見え方に
今の自分自身の世界の見方が
戻っていってる
という事に気がつきました
私は子供の頃本当に
いわゆる健常者、と
障碍者、と言われる方の区別が
全くつかなかったのです
いわゆるふつうの子と
みんなに意地悪される子や
貧しいと言われている子の差も
分かりませんでした
小学校3年生ぐらいまで
本当にわかりませんでした
私には生まれつき
相手の“いいところ“しか
本当に見えませんでした
これはもしかすると
母親が外国人という点が
大きく影響しているのかも
しれません
母親が私に誰かの評価を
伝え聞かせる事は
1度も有りませんでした
あの子はこうだね、とか
この子はこうだね、とか
不自由な子に優しくしなさいね
も
あの子は人気者だね
も
1度も聞かされた事がなかった私は
自分自身でいつも誰かを
自分の心で評価していた
様に、思います
そして、それに対して親が
口を出すことは一度もありませんでした
その私の世界では
誰しもが素敵でした
そして、私自身も
そんな私がすごく
好きだったのです
(どこからか歯車が狂うわけですがw)
だから数々の奇行がありまして
お父さんに作ってもらった紙飛行機が
それはそれはよく飛んだもので
これは、みんなにも体験してほしい!
と
紙飛行機を100個ぐらい折って
道にいる知らん子供に
配ったりしていました。笑
(そして、8割はこんなのつまんない!と
目の前で捨てられて
私は目を擦りながら帰路についたのでした)
で、今
社会から上手に切り離されて
その時の自分のものの見方を
取り戻しつつあるという事に
気がつき始めました
そして、それが1つの
この世界の本質的な姿なんじゃないかな
と、思うのです
だから、ある意味で私は
誰の心配も
本質的にはしていません
“選択“の場面で
どちらが良いみたいなことも
本気でどっちが良い
と思っていることは
ない様な気もします
敢えて言葉にするのなら
その選ぶ誰かの心が
確実に軽くなる方を
お勧めはしているとは思います
本質的には誰しもが
大丈夫で素敵で
そして、素敵な未来が待っていると
私は思っているのです
だからか、わかりませんが
私の門下生や友人はみんな
色々ありながらも
楽しく幸せに暮らしている子ばかりだと
思います
笑顔が違いますね
批判や悪口は
意識的にその流れを止めるように
意識をしています
すると簡単に止まるんですよ
その恐怖のエネルギーは
信頼のエネルギーの100分の1も
ありませんから
お腹にグッと力を入れて
優しく意識するだけで止まります
必要な時は言葉を添えます
困ることは上手に
切り離していく知恵も必要ですがね
(私みたいなもんには特にです)
何が言いたいかよくわからなく
なってしまいましたが
雨もまた良いですね
今日も私は生きています
響月ケシー
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