ケシーです
グレートコンジャンクション。
ですねぇ〜
いつも天体的なイベントの時には
素直〜〜〜〜〜に
体やメンタルに出る私です
そんな時はお花です
デコラマムにハマっています
きれい
このモシャモシャの菊は
“アインシュタイン“という銘柄で
とっても個性的で美しくて
素晴らしいですね
そして、先日
お食事会があったのですが
その時に
とても容姿にも家柄にも恵まれた人
について、話していて
なんか私、直感的に
“あ、きっとその人は
生きている心地が
していないだろうな“
って感じて
ぽろっとそんな事を口からこぼすと
「性的な行為をしている時以外に
生きている心地がしない
って本人が言っていた」
と、聞いたのでした
その時に、腑に落ちたことが
1つありまして
この“生きた心地“
がしていない時に
人間は依存症に
なるんだなぁと気がつきました
生きた心地がしないというのは
なんだか
自分で自分の人生を
ちゃんと歩いてる感じが
しない時なんだと思うんです
そんな時に
セックスに溺れたり
お酒やギャンブルに溺れたり
子供に溺れたり
宗教に溺れたり
お金に溺れたり
恋愛に溺れたり
するんだなぁと
思うんですね
で、この“生きた心地“
なんなのかっていうとですね
幸せだから
生きた心地がするわけでも
ないんですね
幸せか不幸せかと
生きている心地が
確実にあるかどうかって
全く別軸の話で
どっちかというと
生きている心地がある人は
ずっとあるし
ない人は多分ずっとないんですよ
私なんかは実は
急に生きている心地が
自分の人生から消えて
多分就職した頃だったかな
そして
借金まみれになり、収入もなくて
寝息を立てる乳飲児だった
えーせーを抱いた
真夜中の布団の中
まるでこの世界から
誰もいなくなって
この世にたった2人きり
えーせーと私
取り残されたような気持ちになって
多分泣いてたり
したと思うんですけど
すごくすごく
自分の目の前に
確実に世界が姿を表した感覚が
あったんです
敢えて言葉にしてみると
“これは、全て私のせいだ
生きていかなければならない“
みたいな感じで
後悔したり
惨めな思いになったりする
ゆとりすらない
圧倒的な現実感が
ドーンと訪れた。
多分、あれが
生きている心地だと
思うんですね
で、その時から
私は生きている心地が
しなくなった事が
一度もありません
幸せを感じたり
惨めな思いをしたりは
してるんですが
生きている心地がしない
という、強烈な“虚無“に
襲われることは一度もないです
母親のパンツを上げてあげるときも
えまにおっぱいあげる時も
似た様な感じがあります
シングルマザーで働きながら
親の介護とか地獄だわ
とかって
くだらんサラリーマン時代
思ってたんですけど
今、いざ実際思ったより早く
そうなってみると
ものすごく毎日
生命を実感して
生きていますよ
親が弱っていくこと
子が育っていくこと
季節が巡ること
それら1つ1つが
確実に私に命を知らしめる
そうなると自然と物事の考え方も
本質的になるもので
今、一番大事なものは何か?
ってことに
迷いがなくなるんですね。
生きている心地というのは
そういった一見
大変そうな経験の中に
起爆剤があって
夢見心地のスカスカの頭を
胸ぐら掴んで
引っ叩いてくれる感じが
するものですよね
夫に不倫されたとか
お金がなくなったとか
そういった経験の中に
あなたの人生の手触りを
見出して
そして、本当の
崩れようのない幸福を
手に入れるんだと思います
私は、もう不幸になりようがないと
思いますもの
あの日、この世界で
たった2人きりになった私だから。
響月ケシー
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