皆さまごきげんよう
ケシ―です
愛をもって生きる為に
習慣にしてほしい事1つあります。
それはいつも
”フタを開けて中身を確認する”
ということ
私たちの意識や
愛のエネルギーは
”言語”によって
制限を受け
そのエネルギーの推進力を
自ら妨げています
言語というのは
私たちが協力して生きていく為に
便利だから、使っている
”ラベル”です。
これが無いと
私たちは常に
実態のあるものでしか
協力出来なくなり
極めて制限された創造しか
出来ないのです
大きい物を取ってきてほしい
とお願いする事1つとっても
ある人にとっては1mが大きくて
ある人にとっては10mが大きくて
まず、大きいって一体どういう基準で?
という、バラバラの価値基準のもとでは
協力をするという事が
とても複雑になってしまいます
なので、ある程度
大きいという事は
こういう事にしよう
と決めて共有する事にした
それが”言語”です。
なので、私たちは
効率的に実益を得る為に
言語で繋がる事を選択し
その一方で
愛やエネルギーに制限をかけました。
そして、実益が今現在
満ち溢れて飽和している今
是非、意図して
この言語の制限を
解き放ってほしいのです
言語は悪ではありません
”つながる為のツール”です
けど、現代の私たちが
より注意深く扱う事で
自分の中にある愛の制限や
エネルギーの制限を
外す事が出来るようです
その為のたった1つの習慣が
ラベルが貼ってあるその”なにか”
そのラベルを読むだけではなくて
フタを開けて中身を見てみる
この習慣を持ってほしいのです。
そうすると
この世の中には
曖昧な言葉が
山の様にあります
代表的な例を出して
一緒にフタを開けてみましょう
例えば
”努力”という言葉
努力というのは
どうやら集中して
連続して
鍛錬する様なイメージですよね。
けど、それは
”客観的事実”であるという事を
忘れてはいけません
それは貼られた”ラベル”なのです。
当の努力しているというラベルを貼られた本人は
一体どんな気持ちで
その”努力している”という
客観的事実に至っているのか
そのフタを開けようとせずに
自分の何かの結果を求めて
一辺倒に
”一定期間以上継続して
何かに集中して取り組む”という
努力のラベルに習って行動した場合
その道中でふと
これは違うかもしれない・・
と、思ったとしても
言語の結束とはすさまじいもので
その違和感を
いとも簡単に封印してしまうものです
なので
”努力”、”素直”、”正直”、”勤勉”
そのいずれの
今現在崇高とされている言葉1つ1つ
その背景に
それをなし得ているその人の
背景に
どんな”愛”が潜んでいるんだろう
と思う事を
フタを開ける
と私は呼んでいます
一方で一般的に”悪”だと言われている事でもそうです
”不倫””暴力””執着””闘争”
これらの背景には
一体どんな
”愛の欠乏”があるのだろう
そうやって眺めてみる事です
そうする事で
この世のあらゆる愛を感じる事ができ
自分自身に最も最適な
”愛”に基づいた決断が
出来るようになると思います。
その為に、視て、聞いて、体験して
愛の旅を
是非、楽しんで頂きたいと思います。
これが
知識ではなく
胆識
つまり、今後最も必要とされる
人間の経験値であると
私は確信しています。
愛を込めて
響月ケシー