皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる愛ある皆さま
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
この前、我が家にモニター協力として
来てくださった方と話している中で
フラッシュバックしたかのように思い出した
小さいころの話があるので
共有しますね
あれは、確か
幼稚園の年中さんの頃
3階建ての幼稚園の2階だったから
良く覚えている
あの日は
とても園児が少なかった
で、お弁当の日だった
私は本当に変わった子だった
驚くほど1人で遊ぶ子だった
だいたい毎日
お気に入りの階段の下のスペースで
死ぬほどフラフープをしたり
草花の絵を死ぬほど書いたり
文字を死ぬほど書いたりしていた
連絡帳には
ようこちゃんは
今日もたのしく1人で遊んでました
と、日本語の読めない母の為に
幼稚園の先生がローマ字で書いた連絡が
書かれていた
きっと、母に安心をもたらす材料が少なかったので
”たのしく”とか
”集中して”とか
苦し紛れに付け足したことが
私の目にもわかるような連絡が
毎日書かれていた
ずっとだ。
私が今でも
心の中
確かにそこにあった静寂を思い出す
ゆるぎない思い出がある
1人弁当遠足だ
母親に弁当を作って欲しいとせがんで
(特にケチャップライスで具が無いものがお気に入りだった)
公園の立派な木の下で
(北海道の木はどれも生きている様だった)
敷物を敷いて
水筒を出して
おしぼりのフタを開けて
食べた
誰も居ない時間を狙って
12時頃に公園に向かうと
誰も居ない公園が心地よくて
本気で風や空や野良猫や道路と
お話ししていた
多くの大人の目に寂しげに映っただろうが
自分の相対的ポジションを探る能力が
完全に欠落していた私には
孤独も自己憐憫も焦りもなく
完全な平和の中にたった一人だった
私のマイペース度合は
度を越していたとも思う
小学校2年生の頃には
原稿用紙2枚の作文の宿題に
15枚書き上げた上に
結末を上手く書けなくて
机の中にぐしゃぐしゃに詰め込んだまま
良い結論が書けないので出せませんと言うと
めちゃくちゃ先生にしばかれた事がある
(今思い出しても理不尽だ)
それぐらい
生まれつきの根っからの
マイペースでマイワールドな人間なのだ
その素養を
幼稚園児の私は
フルに発揮していた
記憶の限り誰とも一緒に
ご飯を食べた事が無かった
その日までは
その日は、私と女の子が他に3人いた
何人か男の子も居たが男の子の記憶はない
男の子はいつも私の目には
食べてるのか遊んでるのか喚いているのか
解らないという感じで
右を数秒見て
左を向くと
さっきまで居た男の子が
もう居ない、という感じだった
女性はすごいなと思う
決して皮肉を言うつもりではないのだが
彼女たちは不思議な本能で
自分と同じ磁場を持った相手を見つけ出し
引き寄せられるように、引き合い
肉同士をすり合わせてつるむ
そして、その本能が
私には確実に完全に
欠落していた
目の前を通り過ぎる存在と
反射的に遊ぶという事は
あった
ただ、特定の誰かに対して
あなたは、私の友達である
という個体識別上の友人
という認識を持っていたことが
思い出せる限り一度もなかったのだ
良い面でいうと
おかげで私には
偏見の類は一切なかった
(もしかすると言語が不自由な母親が
それを私に植え付けるのに
失敗したのかもしれないが)
年上の子ともよく遊んだし
いつもよれよれのタンクトップで
夜中まで徘徊してるような子とも
遊んでいたし
一緒に居る間一度も笑わない女の子
(彼女は一体誰だったんだろう?)
とも遊んだし
所謂、知的障害を持つ子供達とも
良く遊んでいた
ただ、そこに
優しさや人類愛や正義感が
あったか?というと
一切なく
ただ、目の前にいたから遊んだ
ただそれだけだったのだ
そういう子達と遊ぶ
一緒に居るという事が
”他者目線での私の存在の仕方”に
どんな影響を与えるのか
というところには地獄的に鈍感だった
(だから、小学校3年生頃
人がこれを基準に
人付き合いや、やる事や、人生までも
決定する事があるという事を知り
そして、それがマジョリティーであると知った時
何とも言えない嫌な部屋に閉じ込められて
カチャッと鍵を閉められたような気分になった
が、順応してしまうのである)
話はずいぶんそれたが
その日は3人の女の子と
存在不確定な数人の男の子たちと
お昼に弁当を食べる下りだった
その部屋は、多分今思うと
8畳だか12畳ぐらいの
部屋だったんだろうと思う
けど、小さい私にはこの世の全て程の大きさで
床にはやわらかいゴム製の何かが
敷かれていた
そのオレンジ色がすごく好きだった
天気はとても良かった
私は、例にもれなく
女の子たちと離れたところで
1人で弁当を食べ始めた
普段は静かに一人で食べる機会を
平和に得ていたのに
この日はなんか
目立ったんだろうか
或いは、先生が前日に
嫌な事でもあったのだろうか
失恋でもしたのか
突然青いエプロンをつけた先生が
3人の女の子たちに
少しいぶかしげに言った
「なんでようこちゃん入れてあげないのー?」
初めて、そういう事を言われて
(というか、よくその日まで
この孤立少女が触れられる事なく
放置されていたなとも思うのだけど)
私の心に咲いた花は
”衝撃”
だった
その時私は初めて
その後30年にわたり私を苦しめる
とある知恵を得た
私はかわいそうなのか
1人で安心と平和の世界で
静かにご飯を食べる少女は
その一言で瞬時に
仲間に入れてもらえない孤立少女
という相対的評価を得た
そして、女の子たちは
何か相談をしたのちに
「よーこちゃんおーいでー」
と言うのだ
けど、解るだろう
子供ながらに小さな社会が
そこにはある
入れるわけがないのだ
そこにはあの不思議な女子の本能により
自然発生している
とある、彼女たちの”磁場”がある
異端が突然入ったところで
調和が乱れる初動は免れないのだ
当然、女の子たちも
すぐに立ち上がり
部屋をウロウロし出した
私は凄まじく食べるのが
遅かったので
(今は人間掃除機並みのスピードだが)
座ったまま味のしない弁当を食べていたが
後ろの方でキャーキャー女子たちが
騒ぎ出し遊んでいる
その数秒後
なんと、おたまじゃくしが入っている水槽に
何の拍子か手をかけぶら下がり
丸ごとそのまま水槽をひっくり返してしまった
見た事の無い様な水が
そこらじゅうに広がり
ぴくぴくとおたまじゃくしが
地上を跳ねている
その凄まじい光景ののち
女の子たちは絶叫し泣き叫んだ
余りの光景に
あっけにとられた私は
その様子をただ観ていたのだが
大きな泣き声に驚き
先生が駆け寄った一刹那後
先生は私にこう言った
「ようこちゃんなんでただ見てるの!!!」
今でも覚えている
先生の形相と投げかけられた謎の言葉と
その状況に置ける最適解が
どれだけ頑張っても見つけられない私の頭は
瞬間的にショートし真っ白になった
心臓がドクドクした
そのあとの事は
余り何も覚えていないし
その一連の流れのどの部分が
決定的に私にどう影響したのかを
未だに明確に言語化は出来ないのだが
その日から私が始めた
とある行動がある
ごはんの時間になると
机を引きずりながら
密集してる各グループの中に
声をかけて入れてもらう習慣を覚えた
怒られるのが怖かったから
仲良くちゃんと
入れてもらえているかどうかを
毎日確認して回った
そして、その昼ご飯は
決して楽しいものではなかった
小学校3年生ぐらいまでの私には
”空気を読む”
とか
”人を見極める”
とか
”辞めといた方が良い事をやらない”とか
”やっておいた方が良い事をやる”とか
そういう機能が完全に欠落していて
「仲間に入れてもらう」
という横文字が持つ命令系統にただ従う様に
とにかく手あたり次第に
いれてー
と言って回った
けど、入ったところで
何をするでもなく
マイペースに食べるだけなのだから
何の収穫も無いが
先生から見て
入っているように見える距離に
机を寄せる事だけは覚えた
けど、幼稚園の男の子とかは
純粋に残酷で
得体のしれない女子が
ヨボヨボと近寄って来た事が
嫌だったのか
「お前は息をするな!」
とか言われたりもして
私は、必死に息を我慢したが
どれだけ精神力を鍛えた大人でも
呼吸を止めて自殺は出来ないという事は
統計学的にも証明されているわけで
結果息をしてしまうわけで
その度に頭をはたかれたりした事を
覚えている
先生は、その日から
私が誰かと一緒に食べている事に
安心したのかもしれないが
私の心のとある部分は
その時に確実に死んで
そして、30歳を過ぎるまで
社交性という
そもそも備わっていない機能を
何か他の部分で全力で補って
必死で生きるという悪習を
与えてしまった
今、私は山の上で
暮らして居る
小学校の同級生も
中学校の同級生も
高校の同級生も
大学の同級生も
船井総研の時に同僚も
会社をやっていたときに関わっていた人達とも
ほとんど関わりが無い
一時関わっていたとしても
関わり過ぎるとそれは必ず
終焉を迎える
そして
この気難しい私を理解してくれる両親と
この気難しい私のもとに産まれた
理解せざるを得ない息子に囲まれ
ほとんど外に出て
誰かと触れ合う事は無い生活を
送っている
私の携帯は驚く程鳴らない
(お客様からの連絡は来るけど)
誰も私を呼び出す事もない
体づくりで世話になっているサトマイとは
毎週会うけど
プライベートでご飯を食べる事は滅多にないし
私が親友だと思っている友達とは
年に1、2度会う程度
だけど、私はこの生活を
非常に気に入っているし
私と縁のあるすべての人を
心から愛しているし
この世界も、この人生も、この空間も
愛に溢れている
そして
私の大親友は孤独だ
けど、この孤独こそが
このブログやジュエリーや
朗読会や
あらゆる”行動”を引き起こし
自分なりの”繋がりたい”を
産んでいるとも思う
けど、近くなりすぎると
ダメなのだ
近づきすぎると
私に本来備わっていない
”社会性”や
”協調性”を
何かどこか他のパーツで
無理して補う事になり
それは当然長く続かないし
当然相手も嫌になる
私は、人付き合いが苦手なのだ
それを、巧妙に誤魔化し続ける事で
非常にまたそれが上手くなってしまい
またもひとつ私の人生の難易度を
無駄に高めた部分もあるのだが
少なくとも私がそれを解っていて
私がその自分の気難しさを
上手に扱えるようにちょっとはなったから
それで良いのだ
というところまでは来た
だから、本音のところでは
きっと私は結婚は出来ないと思うし
親は神だと思う
彼氏ぐらいは出来るかもしれないが
家には本当に居れたくないのだ
人をパーソナルスペースに入れてしまうと
私は壊れていく
あまりに悩みすぎてサトゥマイに相談した事がある
(彼女は、私から見てもいい男に愛され続けてるし
人に囲まれて恵まれてるし、けどいつも
わたしはわたし、って凛としてて羨ましかった)
すると
体を鍛えなさい!
と言われたので
今、必死に鍛えている
けど、下半身を鍛えたら
もしかするとちゃんと
誰かを迎え入れられる器が
出来上がるかもしれないなぁと
淡い期待を抱いて
サトゥマイを
出雲大社の縁結びの神様だと思って
毎週火曜日に大正区のジムまで
通って、せっせと大殿筋とか鍛えてる
そして
なぜこれを書いたかと言うと
私はこれからジュエリーを
本格化するにあたって
会社を改めて
作り直したいと思っている
たった1人の”気楽と研究”は
確かに私に
安定的な豊かさと平和をもたらしたが
やっぱり1人は
所詮1人だなぁと思っている
けど、実際のところ
深い所で私はどこか
人を怖がっているのである
あの時の幼稚園の先生が
かわいそうなようこちゃん
を爆誕してから
私は、おびえ続けて居る
そして、確かにそのおびえから
色々なものを破壊して来た事も
解っているし
無駄なエネルギーを大量に消費するクセも
未だに治ってない部分も多分めっちゃある
けど、まずは
自分と言う人間を
深く人にさらしてからじゃないと
何も始まらないかな、って思って
とりあえず書いてみた
けど、愛はあるんだよ
人が嫌いとかじゃなくてさ
なんかこの不均衡感を
この世に放ってみたかったのである
爆完
愛をこめて
響月ケシー