皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる愛ある皆さま
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
【永久保存版】二極化の本当の話をしよう ①【プロローグ】
【永久保存版】二極化の本当の話をしよう ② 前編【場と組織】
【永久保存版】二極化の本当の話をしよう ② 後編【場と組織】
続きです。
沈黙と共有
というテーマですが
これは”思想”に
ついてです
二極化というのは
”思想の良し悪し”
ではない!
という事を
まず、よくよく
覚えていてください。
優れた思想を持つ人が良い世界へ行き
偽物の思想を持つ人が悪い世界へ行く
みたいな、旧来の意識を前提としたものでは
全くないのです
全ての思想は
全て意味があり
全て本物でも偽物でも
ありません。
全てただの思想です。
ケシーがこのブログで
のたうち回って居る事も
思想であれば
あらゆる人が
あらゆる方向性から
色々な事を言って居る事も
全て”思想”です。
けれども”思想”という
視えないものは
物凄く影響力があります
人々をつなげ、共感させ
安心させ、実感させ
思い出させる
エネルギーの使い方の
”術”の様なものの
1つです。
例えば、昨晩お話しした
発電機のお話があります
これも1つの思想です
これはただの思想です
それ以上でもそれ以下でもない
ただの思想
ただの刃物
ただのスコップ
ただの道具です
これから起こる事は
この道具の
”使い方の二極化”です
この世には
あらゆる思想があり
考え方がある
それを使って
”人を支配するか”
それを使って
”人が自らで幸せになる事を信頼するか”
この2つの世界は
今後はっきりと、別れていきます。
なぜなら、もう一緒には
居られないからです。
逆にいうと
”人が自らのチカラで幸せになれる事を信頼”
出来ていれば
思想は究極
何でもよいのです。
一方で
人を支配する使い方をするのは
簡単です
例えば、とある”状態”を
(ケシーの場合は例えば発電機が動いて居る事を)
上である
善い事である
優れている
精錬されている事である
本物である。
と定義づけた時点で
仰いだ時点で
それは”凶器”になり
人々に”沈黙”を
もたらします
なぜなら思想は
”視えない”からです
図りようがないのです
それで、他人を図る
評価する
誰かがどうだと決めつける
決めつけられると
本人はそれが
”解らないです”から。
決めつけられた本人や
決めつける本人は
”自分を責めるか
相手を否定するかの
二択に追いやられます”
そして
相手を否定するという事は
とても勇気が居る事なので
長い間
”何も言えなくさせます”
注意してほしいのです
思想を掲げる人が
たとえ宇宙的に生きていたとしても
その周辺の人が
この罠にはまる様では
全く意味がないのです。
思想を語る人は
ここを
注意深く自覚し
伝え続ける事が
とても大切で
人間に劣等感がある以上
これは、必ず
起きうる事で
思想というものは
人を評価できるものでも
他人を定義づけるものでも
位分け出来るものでもないことです。
1つ思い出してほしいのですが
イエス・キリストを殺したのは
ローマ帝国ではないのです
思想の違う誰かではないのです
イエス・キリストを殺したのは
思想が違う人達ではないのです
イエス・キリストを救世主だと
持ち上げて、崇めて
自分を殺して、我慢して
そして、勝手に裏切られたと騒いだ
同じユダヤ教徒なのです。
ユダヤ教徒が、ローマ帝国に
”殺させた”
彼らは、イエスキリストによって
自らを勝手に殺し
そして暴走し
そして全て無かったことにする為に
最終的にキリストを殺します。
そこから
この世界の思想の分離は
始まりました。
思想の間違った使い方が
ずっと、ずっと繰り返され
戦争にまで発展しています
この諸悪は全て
”劣等感”なのです
人は度々
お金の恐怖と
劣等感の穴埋めで
集まります。
けど、そこをいやす事に
恐怖をはねのける事に
”思想”を使ってしまっては
大変危険なのです。
たちまち人は
それで他人を評価し
劣等感をいやすために攻撃をし
思想を凶器に変えてしまう。
劣等感をいやす事
お金を得る事
そして、思想を持つこと
それはそれぞれ
別の道具です。
だから、重要な事は
それぞれが自分自身の
”在り方”を
しっかりと吟味していく
そして、思想を語る人は
善信頼を於いて
全人類が
自らのチカラで幸せになるという事を
心から信頼するという事に
挑戦しなくてはいけません。
それは
手柄も無ければ
感謝もされない事。
在り方というものは
本来誰にも評価されるものでは
ありません
ただ、発揮するものなのです
発電機が自分の中にしかない様に
そして、そのカギも
自分の中にしかない様に
だから、私は
誰の発電機が動いていて
誰の発電機が止まっているかなんて
解りません
けど
自分の発電機が動いて居る事と
自分の発電機が止まって居る事だけは
解ります
そして、思想というのは
自分の発電機を動かす事
自分の気持ちよさの為に
自分の心地よさの為に
自分の安心の為に
自分だけの世界の
自分だけの
自分の為だけに
だけに
だけに
だけに
だ
け
に
使うのです。
人を評価するためのものでもありません
人を動かすためのものでもありません
その道具を使って
1人1人が
自分の魂と
繋がっていく
本当の自分を
見つけていく
だから、今後は
どんな人だって
何を通じてだってよくて
ただただ
”体現していく”
ということ。
それが
シェアです。
共有です
そして、その
誰にも指をささない
共有は
誰にも優越感を持たず
誰にも劣等感を抱かない
シェアは
必ず誰かの発電機が動く
”きっかけ”になります。
(動かすのは絶対に自分自身です
動かす事は、出来ません)
この世のあらゆる思想も
他人を評価する事や
他人を支配する事や
他人を動機づけする事や
他人を諭す事や
他人を動かす事に使うと
それは沈黙の凶器となります
その使い方の二極化
これは、大変重要な事です
これからは”思想”の時代です
あらゆる人の
あらゆる考え方、体験、思いが
共有されるだけで
豊かさが
どんどん巡ってくる時代です
だから、この
”使い方の二極化”
気が付かないうちに
少しずつ人間は
感情のネガティブに
はまっていきます。
けれども
”調和”は意思です
ぜひぜひ覚えておいてほしい
愛をこめて
また次は
” 依存 と 尊敬 ”
もう1つのとても重要な
”在り方”について
語りたいと思います。
ちょっと速筆で
今からえーせーをお散歩に連れていくので
後で加筆修正あるかもしれませんが
超!!!シェアしてくれたら嬉しいです!( *´艸`)
愛をこめて!
響月ケシー
コメント