皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる愛ある皆さま
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
”もうたくさんだ!”と
地鳴りが聞こえるかのように
もう、自分は自分
という意識が
日本中を
走り回っている様な
そんな気がした
8月8日ですよ
私自身も
ここ最近特段
ゆっくりしておりますが
視界が開けたようで
あ、こういう事か
という事が
良く見えるような心地で
おりますよ。
そして、自分の好きなものを
丁寧に取り上げて
観ていく
そういう再整理の段階に
来ておりますね
FBの友達整理しました
断捨離しました
もう、自分らしく生きると決めました
そういう投稿を数多く見かけました
けど、1つだけ
忘れないでほしいのは
あなたの人生には
無駄は1つも無いという事です
私たちは生きていく中で
”極み”と”極み”の間を
揺れるという工程を
何度も何度も繰り返します
そしてたどり着くところは
”どちらでも良かったのだ”
という、環境に左右されない
自由の領域です
そして、人間
”どちらでも、本当に良いのだ”
と理解した時初めて
自分にとっての最適を
自らの手で
選択できるようになります
そして、自分にとっての最適を
どんな時でも選択できるという
”術”を手に入れた人は
生涯、欠乏に悩むことは
無くなります
(前進の悩みはあったとしても)
これがもしかすると
生きるセンスと言えるかも
知れません
幾度となく私たちは
否定と肯定の間を
揺れ続けます
否定に寄った時に
集まるものもあれば
肯定に寄った時に
集まるものもある
けど、大切なことは
否定も肯定も
必要としない世界
そして
そのバランスを取るセンスは
”どれだけしっかりと物事を観たか”
の量に比例するのです
しっかりと物事を観ないまま
無かったこととして切り捨てても
感情で塗りつぶしても
あなたの生きるセンスは
磨かれないまま
どんな状況でも
私はその上っ面の情報だけ見て
あなたを評価する事は
絶対にありません
だから、安心して
そのプロセスの中で
自分がどんな
”極み”をもって
前後に大きく
揺れ続けているのかを
しっかり、観ていくことが
やはり重要なのではないかなと
思うのです
神様が
メンタルや体に
限界を作ったのは
この”極み”から人間を
どうしたって解放するためですよ
そう考えると
この徒労感さえも
いとおしくて
愛をこめて
大丈夫ですよ
響月ケシー
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