皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる愛ある皆さま
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
【永久保存版】これからのパートナーシップ ①【男が弱くなった現象について】
【永久保存版】これからのパートナーシップ ② 【女性の誤解を晴らす】
【永久保存版】これからのパートナーシップ③【なぜ、歴史は大量の女を殺したのか?】
この続きですね
真のパートナーシップに向けて
男性は罪から解放され
女性は被害者意識から解放され
分離の極みに達した
男と女という
異性性が
今後は
共に”創造”に
繰り出していくことに
なります
そんな中
1つ
もう終えるべき
古い習慣があります
それは
”意味をつけること”
私たちは
”不安”を前提にした
”安心”という魔物に
常に常に
仕掛けられ続けています
それが最終的には
”異性”とは?
という問いに
答えや意味を付け続けた
それが結果
絶え間ない
多くの争いを
産み続けている
女は男に安心を求め
男は女に許しを求める
その成れの果てとして
私たちは常に
”意味の病”に
掛かり続けている
その原因は
男であるという事
女であるという事に
無数の意味を
つけ始めたからに
他ならないのです
けれども、パートナーシップの真実は
ただ
ただ
ただ共にある
ただそばにいる
ただ共有する
という事以外に
それ以外に
本当に本当に
”何もない”
という答えに
私はたどり着きました
全ての人間は
自分にとっての
”異性を求める旅”を
生きるエネルギーとして
与えられています
みんな、はじめは
誰かにどう見られたいかで
何かを始めます
それは必ず
自分にとっての
”異性”
であります
全ての女の子は
王子様に見初められたい(モテたい)
という動機を持っていて
全ての男の子は
自分だけの姫を
見つけたい(モテたい)
という動機を持っています
そして、その種(タネ)は
始めの異性である
父親や母親
つまり
”潜在意識を構成する環境”から
育まれます
(親とは自分の潜在意識の初期設定です)
親があなたに”欠如”を植え付け
そして、それを埋める旅に
あなたは出かけました
結論人間は
自分に足りないものを
異性で埋めたいという
衝動で生きています
これが
”世界観”
を構成します
そして世界観は
あなたが頭で創る”望み”や
あなたが頭で創る”望まない”も
作り上げる
超・前提です
この超前提は
あなたと異性との
”向き合い方”で
決まるのです
決まるんです。
これは、イタリアでも確信しましたし
易の世界の考え方でも裏付けが取れている
事実です
あなたの異性との向き合い方が
あなたの世界の全てを
作り出していきます
そしてその
異性と向き合う事というものは
愛という究極の喜びと
分離という究極の恐怖とを
私たちに同時にもたらしました
そして、私たちは
恐怖に負けたんです
その”究極の恐怖”に負けた
私たちは
この
根源的な
”性”というエネルギーの本質から
恐怖を最小限にする事を理由に
逃げだしました
私たちは恐怖を前提に
異性関係を”契約”に仕立て
ある種の異性の”所有”を
勝ち取る事で
この世界に
構造的”恐怖”を
作り出しました
この恐怖は
世界中へ
けれども
もともとは
私たちは
ひかれあうただの
男の子と女の子
私たちには
宇宙と繋がる
という、真に深みにある
目的を持っています
この”異性”や”性”を
最大級の
恥や恐怖や汚いものに
仕立てあげた
異性にまつわる
全ての”意味”から
脱するとしたら
男女にまつわる
全ての
性交渉や
収入や
暮らし方や
関わり方のすべてに
あなたは
意味付けする事を
放棄しなくてはいけません
これは
凄まじい恐怖です
つまり文学的な
”彼氏”も”旦那”も
”彼女”も”妻”も
存在しない世界
ただ、ただ
その時共にある相手を
パートナーとして
慈しむ世界
想像するだけで
恐怖が向こうから
全速力でやってきますね。笑
今は
付き合うと宣言をして
性交渉をして
特定のパートナーを持って
そして、別れたくなったら
別れたいと宣言して合意を得られれば
もう、性交渉はしない
より強固なものとして
婚姻関係があります
これが今の基本的な
仕組みです
(この仕組みを否定しようとは
私は一切思っていません)
けれども、これらは
本来は
”結果”なんです
共にある、という事の
継続の結果が
結婚や、交際に至る
という事であって
けれどに
今ほとんどの人が
これを
”目的”としている
そしてその代償が
罪の植え付けによる
男性の”許し”と
女性の”安心”
という事になっているとしたら
この世界には
”共にあるという事が
結果として、交際や結婚に達したカップル”
と
”安心や許しを目的とした契約行為で共にあるだけで
実質的には全然
共に あれないで いる カップル”
の2種類のカップルが
この世には
存在している。
(イタリアの真実のカップル)
そして何度もいう様に
人間の文学的な望みは
必ず、その背景にある
その人間の”世界観”に思わさせられている
フィクションの願望に過ぎません
この、契約行為として共にあるカップルは
”恐怖を前提とした安心の悪魔”の世界に居る以上
必ず争いや主導権争いにまみれる一方で
ただただ、共にある、という事への
丁寧な感謝の延長戦の上にある
”結果として至った”カップルは
幸せの中にいつまでも”居続ける”
という事です
人生が抜本的に取って代わるわけです
恐らくですが
本当に幸せな恋愛をしてきた(している)
人たちは
この本質を無意識に理解しているので
彼氏欲しい
みたいな感覚って
あまりないと思います
今はただ、”誰とも共にあらない”
という時期がある事を
受け入れるだけ
という事は
ソウルメイトや運命の人は
”居る”
のではなく
これもやはり
ソウルメイトや運命の人で
”ある”
という事に他ならない事が
解ります
生涯を共に過ごしていく事に”至る”
だけであって
生涯を共に過ごせる相手を”求める”
のではない、という事なのです
じゃあ、この二極化した
カップルの世界で
真実のカップル
であるために
気がついたら
そばにいつもいる
けど、気が付いたら
そばにいなくなっているかも
しれない
これが全ての意味から解き放たれた
真のパートナーシップの
姿だとしたら
もし、全世界の男女が
この気持ちで生きられたら
隣にいるあの子を
いつもいつも
大切に
出来ると思いませんか
あなたの隣にいるあの人
あなたの大切なあの人を
あなたのそばに縛り付けておくものが
何もない、世界が
もし、仮に来たとしたら
愛を疑う事も
愛を試すこともない
ただ、ただ
”共にある事”に
全ての答えを
見つけることが出来る世界
だとしたら
次の⑤~⑧で
具体的な態度や心の置き方に
入りたいと思います
それでは!
バリ行ってきます!
~20日まで返信まちまちになると思います^^;
響月ケシー
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