皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる愛ある皆さま
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
パートナーシップ論
次から次に降りてきてるのですが
若干オーバーフロー気味で
一旦書き出してから
また、書く事にしました
すぐ続きかくからね。
そして、表題の件
安物買いの銭失い
まさに、私は
こういうお金の使い方を
していました
稼げど稼げど
よくわからないところに
消え続けるお金
自分でも不思議で
なりませんでした
けど、最近
本当の意味で
豊か、を感じる心が
少しは私にも
備わってきたかなぁと
思え始めてきて
思い返してみて
思ったり
人を見て
思うのは
安物買いの銭失いの
本当の”原因”は
無用な”罪”に
ほかならない
もう少しかみ砕くと
自分に対してお金を使う事に
ただただ”罪”を感じている
だから、できるだけ安く
だから、できるだけ正当な理由のある
(資格、社会的評価、ブランド)
だから、できるだけみんなの役に立つ
だから、できるだけ交友関係に
お金を
罪を感じずに使える
”理由”を求めて
みんな、さまよっている
けど、この
”自分に注いではいけない罪”
を取っ払ってしまえば
お金はただただ
自然と
巡りだす
お金を使うという事は
呼吸と同じなんじゃないか
と、昨日ふと
思ったんですね
必死に息を止めるから
ぷはーーーー!ゼーハーゼーハ
となる
自然に吐きたいときに
体に委ねて吐く
吐くと自然に体が
空気を取り入れる
そしたらまた吐いて
そこに意味づけして
罪を作って
止めたり
吐けなくなったりして
みんな喘息状態
過呼吸状態
けど、呼吸を感じるように
お金が出ていくことに
生命を感じ、生活を感じ、喜びを感じ
丁寧に向き合っていけば
自然に本当に好きなものに
”だけ”
好きなだけお金を遣える
無駄な出費を
節約の努力をせずとも
自然にしなくなる
結局は
”罪悪感”の
罠なんですね
罪とさようならすれば
お金は必ず必要なだけ
ちょこんとそこに
余っていてくれる
そして自分にお金を使う罪を
抱えている時は
必ず同時に
”自分に使ってもらうお金”にも
罪を感じます
人間は
現実のパターンを作る
意識体ですから
必然的に
自分にお金を使っては
もらえない現実が
繰り返しパターンとして
作り出されます
この罪がね
夏至以降
ちょっと怖い事を書きますけどね
獲物を探して
うろついていますよ・・
だから、いまこそ
クリーンになって
自分の機嫌に責任をもって
生きていく
だから、この罪を
超えていく
恐怖を
超えていく
1つの儀式として
自分の本当に好きなものに
好きなだけお金を使う
という儀式を行うわけです
実は私にも
かなり困窮した時というものが
ありました。
ちょっとしたマンションなら
買えたぐらいの事業資金の借金があり
預金残高は数百円
なんて時代です
(ああ、大変だった・・)
当初の私は
必死に働いて
返済に追われる生活の中で
自分のことは常に後回しでした
けど、皆さんのおかげで
私の借金は順調に
少しずつ減っていきました
けれども、お金にまつわる
不足感は
いつまでも消えませんでした
けれども
借金の減るスピードや
収入が
加速度的に
上がった時に
私が起こしていた行動がありました
年始に私は
本当に自分が良いと思う
財布を自分で欲しい時に
買ったんです
今まで、本当に自分が欲しい財布を
自分の欲しい時に
自分が欲しい価格で
買ったことはありませんでした。
セールを待っているうちに忘れたり
旅行先の免税店で見つけた財布で妥協したり
お金持ちにもらったお金を使ったり
仕事に絡めて手に入れたり
何かと”理由”をつけて
”罪を感じずに済む理由”をつけて
妥協していたんですね
大切なお金の寝床をです
そして、お目当てのかわいこちゃんは
ネット検索を駆使すれば
半額で買えたのですが
自分が
この数字で買いたいからと
自分が欲しい数字で売ってるお店で
買いました
私が”お金”の幻を
自らの力で
”超えた”瞬間でした
その時ポロリと
思った事が
買えた
という事です。
実にあたりまえの
感想でした
そんなに我慢しなくても
そんなに無理しなくても
自分が欲しい財布を
自分が欲しい時に
自分が欲しい価格で
私は買えたんですね
そして、それは
自分に対して
自分を大切にすること
自分の好みに生きる事
自分の本音を感じる事に対しての
強烈な
”許可”を
与えてくれたんですね
誰の許可もなく
誰に伺いを立てる事もなく
私は自分の欲しいものを
自分の好きな時に
買っても大丈夫なんだ
と気が付いたときに
私は自分のもとへやってきた
超お気に入りの財布を胸に
とっても嬉しい気持ちに
なりました
(悪趣味って言わないで。笑)
けど、それを私は
今まで
どれだけお金があっても
選択してこなかった
私の中には
その罪があった
けど、自分だけは
自分のために生きると決めたかった
ささやかですが
その高価な財布は
私に
”生きていて良い”
と似たような
確実な想いを
抱かせてくれたのでした
私が私に使うお金への罪が溶けると
私以外の人が私に使うお金への罪も
同時に溶けるんですね。
発見したのですが
罪は内方向と外方向の
両方向に
同時に同じだけ働くので
内的罪が消えると
同時に外的な罪も
消えるんですね。
誰かを責めるのをやめると
自分も責められなくなる
自分を責めなくなると
誰も責めなくなる
このエネルギーは
同時に動くんですね
だから、まずは
自分から、なんです。
この数日ね
とっても重たかったですね。
けど、もう終わりますよ
環境も整ってまいりますよ
そして、一気に飛躍の時代です
数々の打ち上げ花火が
そこいらじゅうで
打ち上げられますよ
その時に
綺麗だねぇと
空を見てられる自分で
ありましょうね
愛をこめて
みんな、大好きだよ~
響月ケシー
コメント
コメント一覧 (1件)
はじめまして。
ケシーさん、泣けました。
私も”自分に対してお金を使う事に
ただただ”罪”を感じていたんだ”と分かりました。家族の物は買えるのに、自分の物は安物を選んでしまったり、妥協していました。
私も自分の為に生きます!
私も欲しいお財布があります。
以前、見には行ったものの買えませんでした。今度こそ、買ってきます!
気づかせてくれて、ありがとうございます。
いつもパワーをもらっています!