皆様ごきげんよう
ケシ―です
最先端を生きる皆様
今日もお読み下さり本当にありがとうございます
今日はえーせーの保育園入園でした
なので、昨晩から
バタバタしておりまして
更新が大変遅くなりました。
到着するやいなや
こちらを振り返る事なく
そそくさとお遊戯に交じり
母が姿を消しても
全く、気が付く素振りさえなく
母、寂しい!!!
(ノД`)・゜・。
たくましい我が子に
複雑な気持ちのケシーでしたが
お迎えに行ったら
やっぱりちょっと寂しかったのか
保母さんと
こんなやり取りがあった模様
保母さん「これで遊ぶ?」
ウウン(゜_゜)ブンブン(エーセー)
保母さん「滑り台すべる?」
ウウン(゜_゜)ブンブン
保母さん「おうちかえる?」
ウン(-_-)コクリ
さすがに戻ってきて
抱き上げると
首に強く腕を回し
ギュッと強く抱きしめられて
萌(ノД`)!!!
子育てはたまらん。
さて、表題の件ですが
意味の病に取りつかれた私たちは
すぐに全てを
役に立つものと
役に立たない物に
”分けて”
結論を欲しがります
今までは
それで良かった
白黒の世界
評価して、評価されて
切磋琢磨して
私たちはこの世界を
創り上げました
そちらとあちらを分けて
敵と味方に別れて
争う事に意味があった
そんな時代
けど、もうほぼ
完成に近づいてきた
これからは
真の虹色の世界
あらゆるものが統合され
宇宙の中心に取り込まれて行く時代
陰陽の捉え方
つまり
2つに分けて見る物の見方は
更に、深いものへと
変化していくようです
陰陽を見分けつつも
その両方をも併せ持つ勇気
肚を据えて生きていく。
その為に
私たちは”疑い”という
重要な技術を
身に着ける必要がある様です
疑い、という気持ちは
何かに依存し、期待する習性をもつ
私たちという生き物には
少し心地悪い感情の様です
だから
私たちはの胸に
疑いが湧いたとき
私たちは常に
・目をつむる(疑いをかき消す)
・逃げ出す(疑いから逃げる)
の、この二択の中で
どうすべきかを
考えてしまいます
けれども、この”疑い”という想いは
例えあなたの疑念が
その通りの虚であったとしても
疑念がただの恐怖の幻だったとしても
必ず
あなたをより良い人生に運ぶための
目覚めの兆候である事は
間違いないのです
あの人は、もしかして私を利用しているのか
あの人は、私を裏切るのか
あの人は、嘘をついているのではないのか
だから、逃げる
という選択をした場合
あなたは、また同じような人を創り上げ
また、疑念を作り
また、逃げるでしょう
だから、目をつむる
という選択をした場合
あなたは、失われ続ける
自分のエネルギーに気が付かず
やがて、あなたの心の羅針盤は
壊れてしまうでしょう
だから、たとえそれが
実であったとしても
虚であったとしても
自分だけの”真の心”で
一体何が不安なのか
何が嫌なのか
何が気持ち悪いのか
しっかりと丁寧に
向き合う事です
すると、あなたのその姿勢は
その結論が
例え、虚であったとしても
あなたが騙されていて
利用されていたとしても
その疑いの結果さえも
あなたは血肉にする事ができ
被害者のステージから
降りる事が出来ます
疑いの恐怖から
あなたの心の世界地図を
また1ページ黒く塗りつぶして
自分に禁忌を作らないで
疑いの恐怖を
明らかにする事なく
自分さえ耐えればよいと
ぼやかしてしまわないで
しっかりと、”視る”
このかけがえのない
あなたの人生を
より良いものへと導く
”疑い”の力には
具体的なアクションは
必要とされません
ただただ
静かに見つめていれば
必ず、結論は
向こうからあなたに差し出されます
肚を決めて
重心は常に自分の丹田に
愛を込めて
響月ケシー
コメント