皆様ごきげんよう
ケシ―です
最先端を生きる皆様
今日も読んで下さり本当にありがとうございます
昨日は岡山に行ってきました
もう、驚きの連続で
岡山の隠れキリシタンの歴史や
美作の秘密の聖地とか
(隠れキリシタンのお墓)
もう、ここでは言えない様な事も含め
刺激たっぷりでしたよ!
そして、ふと見上げると
大きな大きな十字架が
なんか最近解りやすくてビビるわー。笑
さて、表題の件ですが
私たちはみんな
”なにかをする事で、幸せになろうとします”
けど、実際は
本当に幸せな”なにか”をしようと思うと
まず、幸せになって
それから、何かをする
この順番がとても大切です
けど、私たちはいつも
何かをする事で、幸せになろうとする
物事の全ては”始まり”で決まります
その始まりが
不足、恐怖、欠乏、悲しみ、逃避
から始まる物なのか
充足、安心、楽しみ、感謝、自己対話
から始まる物なのか
それは、とても見分けるのは
最初は良くわからないと思います
気が付かないうちに
恐怖のままに選択をしていくと
自然と
思っている事
言っている事
やっている事が
あべこべになっていく
人間内なる神聖を発揮するときは
この思っている事、言っている事、やっている事が
とても調和している状態であります
それらが調和していない状態の時には
必ず
感情という方向指示器が
ネガティブな感情という形で警告を鳴らし
本物の自分の願望のエネルギーと調和させるために
ブレーキをかけます
けれども、自分の心を無視して
ずっと走り続けていくと
”周囲との人間関係”
に現れてきます
人間関係がとってもうまく行ってる時は
調和しているもので
うまくいってない時は
何らかのミスマッチが起きていると
考えても良いでしょう
そんな時
皆さんの感情の方向指示器が
錆びついてしまっている時が
よくあります
そんな時、ちょっと
やってみて欲しい事があるのです
それは
”意図して心から喜ぶ”
という事です
これが、あなたの心に油をさし
調和への道をスムーズに
運んでくれるでしょう
冒頭に話したように
喜ぶ為に、何かをするようでは
もう遅いのです(準備電移説)※①~③あたり読んでね
何かをする前に
喜ぶ
喜びの気持ちで取り組む
それが、出来ない事は
ちょっとお休みしてみるという事です。
あなたの1日の中に
必ずあるはずの”喜び”
今日は、心をこの世界に差し出して
思い切り喜んでみてくださいね☆彡
愛を込めて
響月ケシー
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