皆さまごきげんよう
ケシ―です
ケシーの家では
家庭菜園をしています。
私がホームセンターで
いちごとホワイトセージを買ってきて
庭に植えました。
私は、自分の買った
いちごとホワイトセージを
それはそれは大切に育てました。
それで、毎日毎日眺めて
大きくなって
美味しくなってね~
って
水をやって
写真を撮って
育てていました。
すると、後日
余ったスペースに
おとんが買ってきた
きゅうりを植えました
そこの固い土のところにしてよ!
とか言って
土壌の良いとこは独り占めして
ちょっと日陰の
土の乾いたところに
おとんのきゅうりは
植えさせました。
お父さんが買ってきた
きゅうりには目もくれず。
すると
ホワイトセージと
いちご”だけ”が
枯れました。
ショック過ぎて
その日は、何もできませんでした。
そして、思った事は
育て育てと期待をすると
それは、結果として
育たないと困るという
プレッシャーを
かけてたのかなぁって
対して興味も無い
お父さんのきゅうりは
のびのび育ち
立派なきゅうりをたくさんつけました。
人間も一緒かもしれない
こうなってほしい
こうあってほしい
そうやって期待すればするほど
それは、相手にとっては
自分は自分以外の存在になる事を
要求されているような
プレッシャーを与えるのかもしれない
そして、相手は
愛されようとして
本来の自分を消す。
そして自分はまた
変えてしまった罪悪感の為に
自らをまた変えるかもしれない
自分が消えると
それは必ずやがて壊れる。
愛は期待で壊れる。
そして、それは
始まってしまうと
とても修正が難しい
けど、出来る
私は、そんな人じゃないって
言ってみよう。
そして、それでいらない、と言われたら
そこを去ろう。
そして、次の愛に備えて
1人できちんと愛をもって”在る”
事が出来る様になれば
誰にも期待せずに
幸せに過ごすせれば
愛はきっと
どうでも良かったおとんのきゅうりみたいに
たくさんの実をつけると思うんだ。
って、どうでもいい
おとんのきゅうりが言うてました。
(例のどうでもいいきゅうり)
どうでもいいおとんのきゅうりは
美味しかったです。
響月ケシー