皆様ごきげんよう
ケシ―です。
えーせーはいつも
パパがおむつを替えてる最中に
必ずおしっこビームと、うんこ爆弾をお見舞いします。
空気読めてる!
(プリ唇が完全に遺伝している)
私は、すさんだ10代が長すぎてですね。笑
18歳で、高校に入学しまして
3歳年下の子達と青春を過ごしたのですが
普通にしゃべってるだけで
相手の子が泣いちゃうんです。
それぐらい
世間というものに対する捉え方が違い過ぎて
驚いた。
大学生の頃も
友情なんて幻想だと
真剣に思っていた。
そういう私に対して
そんな事言うな、と批判されたことがあったが
その批判自体も全く理解できなかったし
そんなこと言われると悲しいって
言ってくれた女の子に対しても
真剣に何が?って思っていた。
私は真剣に幻想だと信じ切っていて
けどそれで”良い”と思っていた。
そこに義務感や、責任はなく
友情とか、愛情とかは
ファンタジーの世界で
そこの当事者が各々の価値観で楽しめば良いと
それはそれで、良いものだと思っていた。
けど、その前提には
私がしっかりと握りしめていた
人間は残酷だという観念があった
いつ裏切られたって、逃げられたって、傷つけられたって
それでも大丈夫な自分を保っておくために
いつも解散の少し前にその場を立ち去って
電話は必ず自分から切って
自分の事は打ち明けなかった
なんか色々怖かったんだね。
防御していたなぁと思う。
その時は怖がってる事さえ自覚無かったけど。
しかし一方でその後大学生活の中で
すごく、良い友達に恵まれ
気が付いたら私は
どんな落ち込んでる子でも
笑顔にしてあげたいとか、元気にしてあげたいとか
そういう事を思う人間になった。
人間は、影響を受けます。
入学当初
人は残酷だと生きていたけど
卒業するときには
人は親切だと生きていた
そしてその変わり目は
何も大げさな事は何一つなく
ほっと心温まる瞬間の積み重ねとか
日々の中のほんの些細な事がきっかけで
そのボーダーラインは
何も高い壁でも
深い溝でもなくて
フラフラッと弾みで踏み入れちゃう程度の
線が一本引かれただけの
同じ世界のこっちとあっち
人ってのは
あっちサイドにも
こっちサイドにも簡単に行き来する
繊細な社会的生き物
その時その時は
まるでそれが永遠の様に感じられるときがあっても
ほんの些細な事がきっかけで
こっちに来れたりする
その程度の存在なんだと
予めちょっと見くびっておくというか
そういう気楽さを少し胸に抱ければ
色々楽になる。
ほら、例えばこういうブログを読む事とかでね。
ふっとこっち側に来れちゃったりする人がいる。
だから、自分の人生は
いつでも自分で明るくできると
自分を信じてあげて欲しい。
誰だって出来るから。
けし子