今日もそこにいてくれて
とっても幸せです
いつもありがとう
響月ケシーです
さて、今日の表題は
“あなたは誰かを愛していますか?“
ということなのですが
昔1度読んだこの本を
最近きっかけがあって
読み直しているのですが
何度読んでも
本当に学びがある
素晴らしい著書だなぁ
で、愛していますか?
という問いなのですが
愛するということよりも
愛されるということの方が
私たちは重要だと
つい考えてしまいますよね?
愛される方法について
色々と情報が多く出るけれども
愛する力については
あまり話されない
みんな“愛することは簡単だ“と
勘違いしていて
大事なのは
“選ばれる対象であり続けることである“
と
想い違って生きている。
けれどもその
みんなが勘違いしている
“簡単だと思っている愛“は
ほとんど性欲と支配欲と所有欲
そのものである
孤独だった時代が長いほどに
強く反応する性的本能
全くの無力で支配可能な
子供に対する期待
これらを愛と
勘違いしているが
それらは全くもって未熟で
大体は、経年とともに
脆くも崩れ去ることが多い
その未熟な愛を私たちは
自らの努力と探究で
成熟した本物の愛へと
昇華しなくてはいけない
本物の愛とはそれらの
性欲と支配とは
全く別次元のものである
成熟した愛というものは
この著書の中で
完全にはっきりと一言で
驚くほど明快に定義されています
それは
“自分の全体性と個性を
保ったままでの結合“
であるというのです
人はよく性欲の愛のために
自らを改造し
子供の支配のためにも
自分自身を改造してしまう
一方で
自らの自由を守るためには
一切の結合を諦めなくてはならないと
深く決め込んでいる孤独な人物も多い
けれどもその支配の誘惑も
孤立の誘惑も乗り越えて
自分も、相手も
全体性と個性を
保ったまま結合する
ということ
それはあるがままの相手を
受け入れながら
同時にあるがままの自分自身も
受け入れるということ
それは
自分自身の拡大
そのものです
もちろん相手とともにあるために
あらゆることを
許容することも大切だし
相手だけを許容するのではなく
自分自身も同時に許容する
けれども、その努力を
人間は拒絶します。
相手を許す=敗北、侮辱、破滅への道
だと思い込んで
“初めから許す必要がない人間を
どうか用意してくれ“
と願っています
しかし残念ながら
そんな理不尽な願いを抱く不完全な人を
成熟した愛を持つ人は選びません
成熟した愛を持つ人は
相手を成熟した愛を持つ人に育て
共に引き合うように
向上していきます
あなたがまずは
たった1人ででも良いので
成熟した愛へのチャレンジを
実現できれば
あなたはどんな相手とでも
いつからでも
幸せな人生を
完璧な人生を
手に入れることができます。
今日はそのための
第一歩をお話しできたらと思います
愛を阻むものは
いつだって恐怖です
それは
“きっとうまくいくはずがない“
という
病的強迫観念です
それを抱いていると
自分も相手も世界も
支配とコントロールの対象に
なってしまい
愛とは程遠い毎日となります
大丈夫、きっとうまくいく
という世界観を
心に宿す必要があるのですが
それを
“誰かに与えてもらおう“と
私たちはしてしまうのです
けど、愛にまつわる活動の
初動はいつだって
“自分自身“であるべきなのです
それ以外の選択肢はありません
だから、まずはあなた自身が
まずはあなた自身のことを
“大丈夫、きっとうまくいく“
とすること
それだけが最初にできる
最高のステップです
どっかの大きな神様が
あなたを手のひらに乗せて
囁くように
自分が自分自身に
そうやって囁いてあげて欲しいのです
まずはそこから
そこをしっかりと整えて
しばらくすると
あなたの心にも
ちゃんと愛が宿って
それは大きく大きく
育っていきます
まずはここから
“大丈夫、全てうまくいく“
愛を込めて
響月ケシー
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