今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
相手を変えることはできない
自分が変わるしかない
というお話しって
よくするんですけどね
それを聞いた時になぜか
“それならば
自分が我慢する術を見つけなくては“
と変換して
苦しい方向ばかりに
ズズズと向かってしまう人が
いるようなんですね。
特に
介護をしていたりとか
小さい子供を相手にする
お仕事をされていたり
介護のお仕事をされていたりとか
子育て中だったり
専業主婦の方だったりすると
そういう方にとって
“相手は変えられない
自分が変わるしかない“
という言葉は
時にとても苦しいようなんです
自分が悪いんだな
って受けとらえてしまう
ようなんですね。
自分を変える、と聞くと
“そのことに対して
何らストレスを抱かない
自分にならなきゃいけない“
と、神がかった無理ゲーを
自分に課してしまうのですが
実際はそうでもないんです。
どちらかというと
“嫌だと思っていいよ“
“ムカついたっていいよ“
“ストレスだと感じてもいいよ“
という方を頑張って欲しいです
自分に何かを禁止したら
自分が抑圧しているぶん
他人の勝手さに本当に腹が立って
もっと苦しくなってきます
それは、抑圧しなくていいんです
“嫌だ“と思うことは
何も悪いことではないんですね。
例えば
夫がむかつく
けど、養ってもらってるしな〜
と、自分の感情を抑圧する
子供イラつく
けど、そんなこと思っちゃいけない
みんなちゃんとやってる
とかね
夫がムカつくことと
自分が養ってもらってる事って
全然関係ないですよね。
子供にムカつくことと
世の中のお母さんたちって
全然関係ないですよね
けど、自分には怒りを抱くことすら
許されてない、みたいな
そういう感覚になる人も
いるみたいなんですね。
けど、この
“怒ってるなぁ“とか
“嫌だなぁ“とか
“あ〜あ“から逃れていると
(抑圧したり、正しさで上塗りしていると)
それ、大きくなるんですね。
だから、その自分にわいた
“いや〜な気持ち“を
もう少しほぐして、その中身を
丁寧に見てみてほしい
例えば子供にムカつく
というのも
・静かにぼーっとできる時間が欲しい
・せっかく作った料理を大事にされなくて悲しい
・泣かれると責められた気がする
これぐらいまでは
解像度上げてみて欲しいです。
すると、じゃあどうする?が
見えてきます。
・静かにぼーっとできる時間が欲しい
→静かにぼーっとできる時間をどうにか確保する
・せっかく作った料理を大事にされなくて悲しい
→もう料理は買ってきたやつにしよう
・泣かれると責められた気がする
→本当に責められてる?
などなど少し思考が
次の段階に向かいます
そしたら、どうすればいいかが
ちゃんと湧いてくるし
どうすればいいかがすぐ出てこなくても
大抵そこの解像度が上がれば
解決に向かっていくものです
(不思議なもんで)
何となく嫌な気分のまま置いておかない
何で自分は嫌なんだろう?を
もう少し掘り下げるだけで
大抵はいい方向に流れていきます。
あなたは嫌だと思っていい
腹がたってもいい
ストレスを感じてもいい
愛を込めて
響月ケシー