今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
私は、俗世の喜びも
(お金とか、恋とか、家族とか、いろいろ)
霊的な喜びも
(瞑想とか、スピリチュアルとか、愛とか)
両方同じだけ
マックス欲しいんです。
で、そんな自分を
完全に受け入れようと
この前ふと思ったんです
どうしてもイメージの中に
俗世とスピリチュアルが
相反するイメージがあって
自分の中にこざかしさを感じる事があった
厳密には
こざかしさを見つけた
神を求めたら
これは求めてはいけないよね
俗世は求めては
いけないんだよな
みたいな、思い込み。
あれ?それ嫌だな。
って思って
ん?となんか
カラカラっと
こんがらがってる思考を見つけて
これは苦しい。
だから、その両方を
どっちも素直に求めることに
正直であろうと
思ったんです
けど、神にだけ触れていたい人も
俗世にだけ触れていたい人も
どっちももちろん否定しない。
全部誰でもどっちでもいい
けど、私は両方
真っ直ぐに追う。
そう本当に思った
無意識のうちに
こうやって
同時に叶えてはいけないって
思っていることない?
母親と恋愛
親孝行と自由な生活
子育てと仕事
自立と依存
愛と喧嘩
同時に存在しては
いけないって思い込みは
全て嘘。
どんなことも
同時に抱いていける
それが、真実。
だから、好きなものだけ
選び取っていけばいい
こうしなければ
ああなれないって思い込みは
全て、本当ではないよ
愛を込めて
響月ケシー
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