今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
坂爪圭吾さんって
ひとがいて
その人のFBがめちゃおもろで
最近特に読んでるんですけど
(こちら)
その中でとても響いた言葉があって
誰の中にも弱さがある。
そういった意味では
我々全員が障がい者だと思う。
すごく、響いた。
確かに私たちが
勝手に定義して
決めてる“障がい者“
という言葉は
我々の社会の中での
“生産性“をベースとした価値観において
勝手に決めてるにすぎなくて
(お金も仕事もなければ
障がい者もいないのでは。
少なくとも
“障がい=できない“に
フォーカスした区別では
なくなるのではと思ってる。)
けれどもその
“それぞれの弱さ“に
基づくと
確かに我々全員に
“できないことがある“
し
“してしまうこと“
もある
だけど私たちをまるっと
“普通“とか
“健常者“とか
くくっちゃうことで
個別の“弱さ“
彩豊かな数多の弱さに
フォーカスされなくなってる
弱さはみんなある
私は小さな頃から
とても繊細で
それがとても嫌だった
(今でもちょっと嫌な時もある)
私は小学生の頃からいつも
ちょっとした言葉1つ
出来事1つ
見たこと聞いたこと態度1つで
いちいち傷ついて
自分の価値を揺るがしてしまっていた
ある日、駐輪場に停まっていた
私の自転車の空気の栓が
抜かれていて
誰がこんなことするんだろう・・
ってオロオロしていたら
当時付き合っていた人に
“容子ちゃんのそういうところが
イライラする“
って言われたことがあった
そんなことどうってこと
ないだろうと。
・・・
感じてしまうことを
どうしろというのだ
この心を殺してしまえと
お前はそういうのか
と思った
それからというものの
私は自分の
そういう繊細なところを
頑張って封印しようとした
繊細=弱いのだ
と信じ込んだ
大学を卒業して
就職した男性優位な会社では
人前で泣くことは失禁と同じだと
教えられた
感情的になることは
愚かだとみんな言っていた
合理性、生産性が
一番偉い価値観だった
何があったとしても
一定の安定した感情でいることが
社会人として一流だと
そういう空気があった
私はとりあえず
その価値観を信じ込んだ
すると、私はすごく
嫌なやつになった
毎日イライラが止まらなくなった
自分はこの世で一番
大変な人生を送っていると
本気で信じ込んだ
電車で子供が泣いたら
大きな音で舌打ちをした
お店や公共のサービスで
不手際があったら痛烈に非難した
笑ってるやつを見ると
腹がたった
楽しそうなやつを見ると
心底見下した
夢を語るやつを見ると
知恵が足りないやつだなと
本気で思った
私は、繊細な自分を守るために
徹底的に嫌なやつになった
お金は見事に
マイナスになっていった
大学の時はちょっと奮発して
自分の好きなものや趣味のものを
買えていたけど
大学のバイト代より何倍も
月収もあって
ボーナスも100万円以上
あったのに
貯金なんか1円も無かった
なんならいつもマイナスだった
そんな状態で起業なんか
したもんだから
会社は当然儲かるわけがなかった
なんのためにやってるのか
自分でもわからなかった
ただ、逃れたかった
人生から逃れたかった
自分以外の何者かに
一夜にしてなれる魔法を探してた
それが叶いそうなものだったら
手に触れるもの全て利用して
腕を振り回して生きてきた
結婚もした
色んな仕事もした
何もかもやってみた
どれも空振りだった
その時の私はまるで
血まみれで目も見えなくて
心はもはや何も感じなくなった
怪物のようだった
やがて夫が私に
手を挙げるようになった
いきなり出かけて
帰ってこなくなったりした
するとついに
内臓が全部くっついちゃう
謎の病気になった
原因は不明だった
熱が40度出ていても
炎症反応が即入院のレベルになってても
絶対しんどいはずなのに
自分がしんどいことに
気付く事ができなくなっていた
もがき苦しむ私を見かねて
夫が呼んだ救急車で運ばれた
救急隊員が私の熱を測って
40度あると言っていた
私がですか?と聞いたら
全く自覚がないのですか?と
驚いた顔で言われた
病院について
点滴をしていて
すぐに帰れると思っていたから
何時ごろ帰れますか?と聞いたら
ガリガリの年配の看護師さんが
私の点滴を触っているその隣で
黒いメガネのぽっちゃりした若いお医者さんに
「帰せません」
って言われた
あ、帰れないんだ
って思って
なぜか、その時私は
安心して泣いた
寝てていいんだ
病院で寝てていいんだ
って思った
最終的に私は2週間入院して
抗生物質で身体中を殺菌して退院したら
絶叫するほどの腹痛に4日間苦しめられ
そしてその翌月に私は妊娠した。
妊娠してからは
さらに過酷な夫婦生活が待っていた
その当時の私の生活の激しさは
神様が私の首根っこを掴んで
“逃げるな。お前の人生から逃げるな“
と、水に顔を沈められているようだった。
割愛するが
なかなか強烈な精神崩壊を
私は経験した
体の傷は大したことがない
けど、心の傷は本当に
なかなか癒えない
しかし紛れもなくこの傷は
“私が他人を使って自ら付けた傷“
なんだと、今になったらわかる
リストカットと同じで
生きていたいから
手首を切る子たちと一緒で
私はどこかで
そうじゃないと証明したくて
そういう現実を
作ったんだと今は思う
証明したかったのは
その置き去りにされた
“繊細な私“だった
繊細な私は
繊細なままで良いのか
何もかも人より
感じすぎちゃうことも
考えすぎちゃうことも
泣けてきちゃうことも
このままでよいのか
それを証明したかった
そして、実はいまだに
その答えは出ていない
役に立つことはわかった
繊細な感性も
文章を書いたり
人に言葉を話したりする私には
とても大切な観察眼だし
人に対する執拗なまでの興味も
この繊細さがその背景にあることは
よくわかる
けど、私はまだ
完全にこの自分の繊細さに
大きな恐怖を抱いている
傷つきたくないと
毎日願ってる
だから、友達も
すごく減った
外に出ることも
ほとんど無くなった
私のこの繊細さを
私は条件付きで許容している
“お金になるのならあっていい“と
ゆるしている
ただ、弱いだけならダメだと
まだ私は私自身を
縛っているんだな、と気がついた
けど、2023年は今年は
この“ただただ弱いだけの自分“を
抱きしめていきたいと思っている
もっと垂れ流していきたいし
もっとびしょ濡れでいたいと思う
それを特別な場所だけで
実現するんじゃなくて
どこかしこで
見せびらかせるように
私はなりたい
擦り切れるまで
ちぎれるまで
自分自身を生きていきたいと
そう思った。
そして、そういうひとに出会いたい
冒頭の坂爪さんは
きっとそういう人のうちの
一人なんだと思う
愛を込めて
響月ケシー
<2023年度 卍易風水講座 受講生大募集中!>
年に一度だけ
風水師要請講座の
受講生を募集しています
本物の風水、占いをまずは
体験してみませんか?
詳細はこちらで!
コメント