今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
昨日なんだかモヤモヤブログを
書きましたが
無事一旦着地しました〜涙
私としては
かなり重大な進歩だったので
また頃合いを見て
シェアしますね。
はい、そうです
お察しの通り
ハナさん案件です〜苦笑
さて、表題の件ですが
ふと、気がついたことが
あったのですが
“頑張る“
と言うことと
“責任を持って生きる“
と言うこととが
かなり強固に
くっついていること
ないでしょうか
私は、これが
かなり強烈に
あったんですね。
それが、昨日
ふわりと溶けた
頑張らなくても
責任を果たすことは
できる
そう思えた時に
なんだかとてもとても
未来に希望が持てたというか
明るい気持ちに
なれたんですね
頑張らなくては
責任のある人生を
送ることはできない
そう思っていた
で、この
“頑張る“ってなに?
って思った時に
私は直感的に
今世の中で認知されている
一般的な“頑張る“は
“他人へのアピールだ“
って思っちゃったんですね
私たちは
自分たちが正統である証明のために
人に見える形で
“敢えて頑張る“
というやり方をすることがある
本当に一心不乱になって
夢中になって取り組んだことが
結果として人から見た時に
“頑張ってるように見えた“
ことはあったとしても
自分で“頑張る“と決めた時
それはアピールになってしまう
自分が“正しい“とか
自分が“ちゃんとしている“とか
自分が“やっていい“とか
そう言うことの証明のために
わざわざ頑張るのは
そしてそれを“責任“と
呼ぶのは
もうやめにしたいな、と
思った
そもそも責任という言葉も
非常にあやふやな言葉で
と言うことは
無責任という言葉も
実は誰かを責めたい時にだけ
現れる幻かもしれない
人は自分以外のことに
一切の責任を持つことは
本来できなくて
だから、どうせ
幻の言葉なのであれば
楽に生きたまま
責任を取ったっていいし
むしろ、無責任にも
なってもいいのかもしれない
どこかの知らない人に
“生きていていい“許可を
得るような
そんな無駄な努力の全てを
この世界に生きるすべての人が
楽に手放せますように
ただ、生きているだけでいいと
感じられ安心の中で
暮らせますように
そしてそれが当たり前に
理解できる私たちで
あれますように
2023年は
そういう“頑張り“は
やめていきましょう♡
愛を込めて
響月ケシー
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