今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
最近インスタとかで
なんか
夫婦は対等ですよ〜とか
そういう話すごい
多いなぁって思って
見てるんですね
けどぶっちゃけ
なんか見てて
しんどいんですよね
こうじゃ!ああじゃ!
ってなんだか結局
正当性の応報というか
例えばこんな感じ
お父さんが
誰のおかげで飯食えてるんだ!
と思ったなら
お母さん側が
誰のおかげで
あなたは安心して
仕事に行けると
思ってるんですか?
美味しい食事を作って
子供の面倒見て
私だって頑張ってる
夫婦の給料は年間1000万円相当うんぬん
みたいな。
いいねいっぱいついてる。笑
けど私はなんか全然
しっくりこないんです。
なんか結局
俺はお金稼ぐから
お前は家のことするから
対等
みたいな感覚って
まぁ、間違っては無いんだけど
所詮ただの
サービスのトレードというか
それってけどじゃあ
外注できちゃったら
奥さんいらなくなっちゃうじゃない?
奥さんが稼ぎ出したら
お父さんいらなくなっちゃうじゃない
もしもの時に
簡単に崩れ去りそう
けど本当はそうじゃ無いじゃん
(本当にそうならお疲れ様。)
一緒に生きている。
こういう言葉が飛び出た時
(それは誰のお金で!の人も
誰のおかげで仕事いけてる!の人も)
本当の問題は
“なぜそんな
価値の証明を
し合う必要がある
間柄になってしまったのか?“
という事なのだと思う
なんでわざわざ
そんなことを
言わなくてはいけないのか
それは結局のところ
お互いが
或いはどちらかが
“家にいていい“という安心を
脅かされてるから
そんな言葉が
飛び交うことに
なってしまう
だから、そういう言葉が
飛び交う時のゴールは
お互いに対して
生きていてくれるだけでいい
共に暮らしてくれているだけでいい
人生を捧げてくれているだけでいい
こう思えるかどうかに
かかってる
この次元に思考が達したら
もう“そんなこと言う親父“の問題は
“自分の問題“に
変わってくる
自分が相手を
愛せるか愛せないかの
問題になってくる
そして正直どうしても
そう思えないのなら
はっきり言って
人生を楽しむことを
放棄している自分の怠慢を
疑った方がいい
相手の愛を受け取ることを
怠けている。
夫婦で価値の証明のダンスを
踊っている間に
子供はあっという間に大きくなるし
なんなら死ぬ。
何度でも言うけど
愛は意思
あなたが愛そうと
心に決めるから
そこに愛は生まれる
そう思えない相手を
選んだという事実にしてから
考えを始めるか
そう思えるかもしれないなら
思えるだけの証拠を
いっぱい探してみよう
どちらでも大丈夫
あなたは自分の人生を
いつだって完璧に
コントロールしてる
愛を込めて
あなたはいつも
この世界を変えうる
すごい心のパワーを持っている
それを人は
愛と呼びます
響月ケシー
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