今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
あの人はこういう人だ
この人はこういう人だ
って、私たちはいつも
人を評価して
そして
自分にとって“良い人“を
選ぼうとしますよね
けど、私は
性格みたいなものって
ほとんど存在しないんじゃ無いかなって
思っているんですね
もちろん、ある程度の
内向的、外向的みたいなものは
あったとしても
それって性格なのか?
って言われるとちょっと疑問で
どちらかというと
背が高い低いみたいな
ただの個性というか
けど
“立ち居振る舞い“によって
評価される“性格“に関しては
私はほとんど幻だと
思っているんですね
全く確かなものじゃない
だから、たとえば
夫とか親とか兄弟に対して
あの人はこうだから
って諦めたり嫌っていたりしても
それも幻だし
あの人は素晴らしい
ありがたい
大好き
っていうのも
確かなものじゃない
(変わりうつろうという意味で)
じゃあ、何がその
いわゆる我々が“性格“だと
認識しているものを
定義づけているかというと
わたし
なんですよね。
どういうことかというと
私自身が、自分自身が
私は
相手の“どんなところ“を
引き出す人間なのか?
にかかってると
いう事なんですよ
つまりですよ
あなたの大嫌いなあの人は
別の人には神様のように
優しいかもしれないし
あなたの大好きなあの人は
別の人には悪魔のように
冷たいかもしれない
残酷かもしれない
あの人の前では
素直でいれるけど
あの人の前ではなんか
意地を張ってしまう
女をモノのように扱う
遊び慣れたあの遊び人が
とある女の子の前では
気を遣ってドキドキしながら
相手の顔色を窺ってる
なんてこともある
もちろん女性も
私は、これが
どんな間柄においても
常に起こってると
思ってるんですよね
だからある意味で
相手があなたをどう扱うか?
が
あなた自身の
“在り方の答え“
とも思えます
ありませんか?
この人には
誠実でいたい。
優しくありたい
大切にしたい
と思う相手と
この人には
適当でいいや、とか
雑に扱ってしまうとか
ついつい責めちゃうとか
指摘しちゃうとか
ありますよね。
それは間柄だけじゃなくて
相手の中にある何かに
反応するかのように
自分の中の陰陽がうごめく。
それは相手の中にある“何か“の
吸引力によって
あなたの態度、接し方が
微細に変化するんだと
思うんですよ
それは概ね
相手の自己評価に
関連づけられる
自分は大切に扱われない
と思っている人は
やっぱり大切にしてあげられないし
自分は無価値だって
思っている人は
なんかついつい責めちゃう
自分は大切な存在だし
適当に扱われる女じゃない
って自信がある女の子は
やっぱり誰からも大切にされてる
これ、本当に起こってるんですよ
よく自分を観察してみてくださいね
で、ということはですよ・・
他人の性格は
操作できる、って
事になっちゃうんです
この世界は自由自在なんですよ
けど、それはいつだって
自分の“ありかた“一本に
関わってる
この世界は
あなたがあなた自身を
どう思うか次第で
優しくも、残酷にもなる
だから、自分を
大切に大切に
あなたは愛されています
響月ケシー
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