今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
我が家は収納が山ほどありますが
ほとんどスカスカにしてあります
リビングにはある程度おもちゃや
絵本がすっ転がっておりますが
収納の中は非常に綺麗に
まとめています
むしろ
目に見えないところの方を
より一層気をつけて
整理しています
(もちろん目に見えるところも
綺麗にするように努力していますが
優先順位としてね!)
で、よく
パッと見片付いて見えたとしても
クローゼットや収納が
ギッチギチの意味不明なもので
わんさか、という状況もあります
こういった状況の特徴として
“目に見えない心もおざなりにしがち“
ということがあります
自分のロッカーや収納が
ぐっちゃぐちゃな時は
自分や身の回りの人の心を
大切に扱う事は出来ません
意識がそこまで巡る余裕がないのです
そして、私も幼少期のほとんどを
クローゼットやロッカーが
はち切れそうなほど
よくわからないもので満ちた家で
育ちました
立派な調度品や
高級な車がある家でしたが
目に見えないところは
悲惨な状況でした
私自身に関しても
目に見えるものには
たくさん情熱を注がれた思いがありますが
目に見えないものは
つくづくおざなりにされた
という思い出もあります
(とはいえ今は親とは
それなりに仲良しですよ
グチではなく、ヒントとして
聞いてくださいね。)
私の心や気持ちに関しては
ただの1度も目を向けてもらったことが
ないかも知れないな、とさえ
思います
(大人になって壮絶なコミュニケーションの末
それなりの距離と丁寧さは成立しましたが)
そして、片付けられない
という人は
本当に目を向けるべき
“心“それも特に
身近な人の“心“に
目を向けることが
できない状況にある人が
多い気がします
大切なことですが
目に見えないところが先で
目に見えるところが後です
目に見えないところを道と言い
目に見えるところを器と言います
器ばかり気にしていても
その背景にある“道“が
整わないことには
この世の理に叶うことはないのです
何もないところにこそ
何も見えないところにこそ
愛を込めて参りましょう
響月ケシー
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