今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
インド占星術を学び始めてから
一気に仏教に関心が出てきました
私が習っているインド占星術は
北インドのもので
北インドといえばゴーダマシッダールタ
ブッダの生まれ故郷ですね。
ブッダはもちろん
ご存じ仏教の開祖です
(卍易やってた時は
めちゃくちゃ東洋哲学に
どっぷりでしたが
本当に私は凝り性です。笑)
どちらが正しいとか
そんな程度の低い関心ではなくて
その背景や真髄まで
理解しないと気が済まないというか
なんかもう気になる、というか。笑
で、それをわかりやすく
教えてあげるのが
楽しいんですよね。。笑
まぁ、いわゆるオタクなんですが
で、仏教なんですけど
小乗仏教と大乗仏教と
ありますが、大乗仏教が
最近法華経とか、話題になってるのもあり
ちょっと、マイペースにですが
勉強しています
その中で、非常に面白い話があったので
紹介したいと思います
その中に1つ
観世音菩薩という
人々の苦しみを除いたりお願いごとを
聞いたりしてくれる慈悲深い仏様を
信仰すれば
なんでも願い事が叶いますよ
というお話があります
その中のとある菩薩と
仏様との会話です
仏様が菩薩こう尋ねられました
仏様
「もし、めちゃくちゃ祈りに祈りを重ねて
自分の生活の全ての洋服や薬や食事を
差し上げて供養しまくっている人がいたら
その人の福徳はどんだけのもんだと思う?」
すると、菩薩はこう答えました
菩薩
「そりゃぁもう凄まじい福徳でしょう」
仏様
「そうではない。
信じているのならば
ちょっとだけ礼拝したり
たまに供養しているものと
その大変熱心に
供養しているものと
得られる
無量無変の福徳は
全く同じなのだよ。」
というお話
で、とっさに私は
“だったら
たくさん供養する方が
損じゃん“
って感じたんですね
で、すぐさま
え?損って何?
って思ったんです。
なんで私は“損じゃん“って
思ったんだろう
とぐるぐるしました。
で、しばらく経って
気がついたのは
“大量にやるのは
その分得するから“
“大量にしても得しないなら
大量にやらない方がいい“
これって、凄まじく
固定給に縛られた
サラリーマンみたいですよね・・笑
“誰かが私を見ていて
評価されている姿勢“
から発想される感覚
つまり自分が主体じゃない
発想・・・
自分で気がついて
愕然としました・・・・。笑
当たり前のように
そう感じていることに
気付いてびっくりして
更に、この
無量無変の福徳
という表現。
これは、確実に
“祈り“とは
たくさん祈ったから
たくさん得られるとか
たくさん信じたから
たくさん得られるとか
そういった
“外側からの評価に左右される“
程度の次元の事では
全くないのだよ
という事だ、と
直感的に思ったのです。
祈りや、供養が
自分に対する信頼や応援を
含まれるとすると
得しないなら自分を応援しない
得しないなら自分を信頼しない
という事になりますね
ちょっと思い当たる節ありませんか?
これ結構多くの人の
心に潜む1つの罠を
ありありと見せつける
1つの凄まじいアプローチだと
感じたんです
あなたの心が“そうあろう“と
それは豊かになろうとか
良い子宝を得ようとか
病を乗り越えようとか
そう信じて心をそう整えた時には
量や結果の是非を超越した
本当の内的な真の宇宙が
(それがつまり
全ての願望を叶えてくれる
観世音菩薩の御名が)
いつでもそこにあって
いつでもそこと共にある事が出来る
という事なんじゃないか
と思ったのです
これだけやったから
これだけ得られるはず
人生とはそんな
誰かに点数をつけられるような
ものじゃないですよ。
という、このまさに仏の視線。
2000年前にやばすぎて
本当に感動しました。
これからちょこちょこ
おもしろ仏教トーク
織り交ぜていきたいと思っています
愛を込めて
響月ケシー
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